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「蒲団(ふとん)」や「田舎教師」で知られる田山花袋は、明治前期の少年のころ、東京・京橋の本屋に奉公に出された。山のように本を背負って得意先を回る。「時には必要な書籍の名を書いた紙乃至(ないし)は帳面を持って、通りにある本屋を一軒々々訊(き)いて歩いた」と回顧している(『東京の三十年』岩波文庫)。
被称为「蒲団」及「乡村教师」的田山花袋,在明治前期的少年时代,在东京・京桥的书店打工。背着山一样的书籍在有顾客的地方兜转。回想起「有时写着需要的书籍的名字的纸乃至拿着笔记本,向路边的书店一家一家询问」(『东京的三十年』岩波文库)
やがて、本を買い、注文する側となってこう書いた。「丸善の二階、あの狭い薄暗い二階(略)莞爾(にこにこ)した番頭、埃(ほこり)だらけの棚(略)その二階には、その時々に欧洲を動かした名高い書籍がやって来て並べて置かれた」
不久,成为买书定书的一方这样写道。「笑眯眯的掌柜在丸善的2楼,那个狭小而黑暗的2楼(略)沾满灰尘的书橱的2楼,在那里放置了当时轰动欧洲的有名的书籍」
19世紀の欧州の思潮は、丸善の二階を通して極東の一孤島にも絶えず微(かす)かに波打ちつつあった、とも記す。思潮に限らず、西欧の文化は、開国後に書物の波となって渡来したと言えるだろう。
19世纪的欧洲的思潮同时记载着,通过丸善的二楼即使是极东的孤岛也能感受到这一持续的轻微的波动。不仅是思潮,可以这样说西欧的文化,在开国后舶来的书籍如潮流般的涌入。
21世紀の今でも、本屋に行くと、いわば時代の波打ち際に立っているかのような思いをすることがある。平台に様々な本が並んでいる。中身は千差万別としても、一冊一冊が、今という時代の小さな波の一つ一つに見える。
即使是21世纪的今天,去书店,就感觉象是站在时代波动的前沿。书架上放着各种各样的书。即使内容千差万别,可每一册,都能看见当今这个时代的小波浪。
取引先からの破産申し立てを受け、今年7月に、東京、神奈川の7店舗全店が閉店に追い込まれた書店「青山ブックセンター」が、再建へと始動した。デザイン、写真などの分野での個性的な品ぞろえに愛着を持つ客らが署名運動を起こし、取引先の一つが支援に動いた。
从顾客那里接到破产陈述,今年7月,东京,神奈川的7家店铺全部被迫关门的书店,开始再建「青山书籍中心」。放置了设计,照片等领域的个性的商品对其不能忘怀的顾客们发起了署名运动,顾客方开始支援。
閉店で空っぽになっていた六本木店の書棚には、昨日、「再開支援フェア」で、一部だけだが本が並んでいた。この小さな波と波が連なり、大きな渚(なぎさ)となってよみがえるさまを思い描いた。
因关门而空当当的六本木书店的书橱,昨天在「再开支援展销会」上,仅仅是一部书也放了上去。想象着小小的波澜接着波澜,成为海滨的复苏是的情景。