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体感としてはもう十分すぎるほど知っている。それを数字で知らされると、暑いというより、熱い。6、7月の平均気温は、東、西日本とも観測史上最高となった。この100年で東京の年平均気温は3度も上がった。都会では、健康の上からも、夏休みの重みが増している。
(夏天的天气)与其说热不如说是炙热,根据身体的感感觉就可知道得十分的清楚,也可以从数字方面得知。在日本的东部和西部,6、7月份的平均气温达到历史最高记录。在这100年中,东京的年平均气温上升了3摄氏度。在大城市中,出于对健康的考虑,暑假的重要性在不断的增加。
今よりはしのぎやすかったはずの19世紀末、明治22年の夏休みのことである。第一高等中学校の生徒だった数え23歳の夏目漱石は、8月7日から30日まで千葉・房総へ友と旅した。直後に書き上げた紀行文が「木屑録(ぼくせつろく)」である。
和现在相比,19世纪末期、明治22年的夏天也许会容易忍受一些。当时23岁的夏目漱石是第一高等中学的学生,他在8月7日到30日期间和朋友们一起从千叶旅行到房总,不久之后便完成了叫《木屑录》的行文游记。
「余児時誦唐宋数千言喜作為文章……」。すべて漢文で、中国文学者の吉川幸次郎さんは「おそらくは明治時代の漢文としてもっともすぐれたものの一つ」と評したという。
“余儿时诵唐宋数千言喜作为文章……”全部是用汉语书写而成,“恐怕是明治时代使用汉语最优秀的一位了!“中国文学研究学者吉川幸次郞曾给予他(夏目漱石)如此高的评价。
『漱石の夏やすみ』(朔北社)で高島俊男さんの独特の訳を読む。「我輩ガキの時分より、唐宋二朝の傑作名篇、よみならつたる数千言、文章つくるをもつとも好んだ」。漱石青年の心意気が見えるようで面白い。「これを木屑と命名せしは、お粗末無用のものたることを、ことさら表明するためである」
《漱石的暑假》(朔北社)中可以看到高岛俊男的独特译文。“(夏目漱石)我小时候,喜欢写文章和读唐宋两代的杰作名篇,一读就是数千言。”再看看漱石年青时的心境十分的有趣,他说“之所以把这本书命名为《木屑录》是因为,是为了特别的表明这种粗糙无用的东西。”
100年前の今頃には、12歳の龍之介君が「暑中休暇中の日誌」を書いていた。「八月三日 曇小雨/いやなまつくろな雲が二つ三つ北の方にあたまを出したと思ふともう空一面にひろがつて まるでうすみの様な色になつたので 楽しい水泳も出来ず 復習と読書とにふけりました」(『芥川龍之介未定稿集』岩波書店)
100年前的现在这个时候,12岁的龙之介写下了《暑假日誌》。“8月3日,多去转小雨。总是有那么两三朵令人讨厌的乌云时不时的出现在北边的天空中,但似乎也让另一面天空变得更宽广了,真是一个清凉的夏天啊,只不过无法享受游泳的乐趣,便沉湎于复习和读书之中”
これからが、夏休みの盛りだろうか。それぞれの一夏(ひとなつ)が刻まれる季節でもある。
现在正值暑假的盛况吧!各种各样的夏天中总有着令人铭记的季节。