地震が起きて聴衆は避難し、客席は空っぽになった。指揮者はタクトを振り続けた。演奏が終わった後、彼は、オーケストラに落ち着きがなかった、と不満をもらした。地震のことを説明されると、「全然気がつかなかった」(雑誌『WAVE』31)
发生了地震观众都避难去了,观众席全部空无一人,乐团指挥继续挥动着指挥棒,演奏完了以后 ,他表示对管弦乐团的不沉着表现不满。向他解释地震一事,他竟然表示“完全没有注意到”。
亡くなった指揮者カルロス・クライバーはそうした逸話や伝説に事欠かない。彼の公演はすぐ完売になる。幸いにも切符を手にした人は、期待と不安の日々を送る。キャンセル常習犯の彼のこと、指揮台に立つまでは安心できない。立ってからも何が起きるかわからない。しかし不安の対価は、かけがえのない陶酔である。
已故的乐团指挥克罗斯.克莱吧像这样的逸事和传说是不胜枚举,他的公演门票很快就销售一空,有幸买到票的人到公演开始为止,总是在期待和不安中渡过的,对于经常取消演出的他,没有站到指挥台上大家就无法安心。(他)从站到指挥台起不管发生任何事情都会浑然不觉,然而,之前的不安换来的是无可替代的沉醉。
「パステル画のように精妙で……必要とあればルーベンスやルノワールにも劣らない極彩色で音の劇を描き出すことも辞さない」(吉田秀和)。88年にミラノ・スカラ座と来日したときの評である。あの厳しい批評家が「満腔(まんこう)の敬意とブラヴォーを」と記した。
“他的演出像彩色画一样的精妙,如果有必要的话还可以做到像路伯斯和罗那瓦尔一样,极具色彩的描绘音乐剧。”(吉田秀和)1988年来日本时在ミラノ・スカラ这样评价到。连他那样要求严格的评论家都这样写到“(对他只有)满腔的敬意和赞美”
帝王といわれたカラヤンは「冷蔵庫が空っぽにならないと演奏会に出てこない」とクライバーの「出無精」をからかったそうだ。帝王亡き後の空白を埋めてくれる人、とわかっていたのかどうか。
据说被称为指挥之王的卡拉扬曾讥笑克莱巴:“只要冰箱不空(他)是不会出席演奏会的”。是不是(卡拉扬)已意识到(他)是填补自己死后空白的那个人?
74年の生涯は平坦(へいたん)ではなかった。父エーリッヒは高名な指揮者だったが、ナチスドイツを嫌って30年代、南米に移住した。戦後ヨーロッパに戻ったが、息子が音楽家になるのには反対した。最初は偽名で指揮台に立ったほどだった。
(他)74年的生涯并不平坦。父亲艾利赫兹是名著名指挥家,由于讨厌纳粹德国于30年代移居南美。战后返回欧洲,反对儿子成为音乐家,(克莱巴)最初甚至用假名出场。
飛行機嫌いなのに、たびたび来日した。日本が好きだったのだろう。大のインタビュー嫌いだから、ついに尋ねる機会はなかった。
尽管(他)不喜欢乘坐飞机, 还是数次来日本,大概是比较喜欢日本吧!由于非常讨厌访问,最终也没有机会采访到他。