入江さんにとって、炭火は夜の書斎のにおいでもあった。学生時代や、終戦後の窮乏期の記憶である。〈敗れ果てた日本にも、まだこれだけの贅沢(ぜいたく)は許されていると思った……ここにはまだ「日本」というものが、豊かに息づいているじゃあないかと、思った〉。
对于入江先生来说,木炭也是夜晚书房的气味。那是关于学生时代和战后经济困难时期的记忆。“我当时想,一败涂地的日本居然还能如此奢侈……从中可见这个叫“日本”的家伙仍然还是生龙活虎的。”
昨今、炭火を見ることはそうない。見かけても、上で音を立てているのは鰻(うなぎ)だったり手羽先だったり。いにしえの日本を連れて来るべき微香は、食欲をそそる薫煙のかなた、ようとしてうかがえない。
如今,木炭已经不太能看得到了。偶尔看到,在它上面发出滋嗞滋声的也是鳗鱼或鸡翅。而那个本应将古老的日本唤来的微香,也在煽动食欲的熏烟中消失得无影无踪了。
煙突や暖炉を据えにくい木造家屋は、煙を出さず火力が長持ちする炭を求め、火鉢と七輪の暮らしが生まれた。こうして居間や台所を支えてきた炭も、もはや日常からは遠い。炭焼きは師弟で継ぐ職人技になった。
木造房屋不好安装烟囱和暖炉,而木炭不冒烟而且燃烧时间长,于是催生了日本人使用火盆和炭炉的习惯。然而曾经在起居间和厨房唱主角的木炭,如今也已远离人们的日常起居。烧炭也成了师徒相传的一种工匠技艺了。
先ごろの本紙で、杉浦銀治さん(85)が紹介された。農林省で炭の研究に励み、今も内外で炭焼きを教えている。杉浦さん編の児童書『火と炭の絵本』に、「炭を通して、火の大切さ、森の大切さがみえてくるんじゃないかな」とある。
前些天本报曾报道过85岁的杉浦银治。他在农林省一直致力木炭研究,现在还里里外外地传授烧炭技艺。在杉浦先生所编写的儿童书籍《火与炭的图画册》中有这样一句话;“通过木炭,我们不是就可以看到火的重要性森林的重要性了吗?”
電気やガスは便利だが、代わりに炭や薪(まき)が廃れ、用済みの雑木林が消え、里山が荒れる。〈豊かに息づく日本〉の衰微を見るにつけ、去来するのは入江さんが使った贅沢なる一語だ。自然と響き合うまほろばの原風景に思いを致すなら、深々(しんしん)と冷え込む夜半がいい。
电和煤气的确方便,可另一方面由于不再使用木炭和柴火,导致已没有使用价值的杂木林消失、山林丢荒。每当看到“生龙活虎的日本”的衰微,入江先生使用的奢侈一词就在脑海中挥之不去。要体会与自然和谐共鸣的日本原汁原味的风情,还是冰冷彻骨的深夜比较合适。
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