時事川柳を育てた一人に小説家の野村胡堂(こどう)がいる。明治末、当時の報知新聞に入り、社会部長時代に賞金つきの川柳欄を設けた。自ら選者を務めた胡堂が後に、「不朽の名作」と挙げたのが〈するが町広重の見た富士が見え〉だ
小说家“野村胡堂”是创作时事川柳的其中之一。在明治末期,进入了当时的《报知新闻》社,在担任社会部长的期间就开设了可以支付稿费的“川柳”这一个栏目。胡堂亲自担任挑选文稿的工作后,便有许多“不朽的名作”诞生,其中一篇名为《立骏河,眺望富士》
駿河(するが)町とは今の東京・日本橋、三越かいわいで、江戸の昔は富士見の名所だった。関東大震災で高楼が軒並み崩れ落ち、同じ場所から、67年前に広重が描いた通りの霊峰が望める。そんな放心の句は、焼け野原と化した都の姿を17音に刻んだ
骏河市是现在东京,日本桥,三越的附近,江户时期是有名的观赏富士山的好位置。因为关东大地震,高楼齐齐崩塌,同样的场所,67年前描绘的眺望灵峰—富士(山)的观赏地,有一句那样出神的川柳诗,用17个音就刻画出火烧的原野和灰烬的都市姿态。
16年前のきょう、神戸あたりのスカイラインも一変した。大揺れの後の薄明に浮かんだのは、全壊10万余棟のゆがんだ街だった。幾筋もの煙を上げる屋根の下で、六千数百の命が尽きた。悲しい記憶を塗り込めるように、がらりと趣を変えた街区も多い
16年前的今天,神户一带的盘山路线也完全改变了。回想起摇晃后的曙暮光,全部毁坏的有10万多栋的楼房,成了一个歪斜的街市。在冒着一缕缕浓烟的屋檐下,有6千多人丧失了生命。为了掩埋这段悲痛的记忆,改造成有风趣的街区也有很多。
阪神大震災の被災地の区画整理がようやく完了するという。甲子園球場66個分の土地に道が引き直され、生まれ育った一角を公園にされた人もいる。子や孫に安全な街をという願いが、反発を包み込んだ
据说阪神大地震的受灾区的区画整理终于完工了。在相当于66个甲子园球场的地域重新规划通道,也有人想一部分区域改造成公园。这样做的目的是为子孙的安全着想,但是却遭到反对。
震災翌年の秋、神戸で催した読者との集いを思い出す。出演してくれた地元の川柳作家、故時実新子(ときざね・しんこ)さんは、あの朝、机を亀のように背負って絞り出した一句を改めて詠んだ。〈平成七年一月十七日 裂ける〉
灾后的第一年秋天,回想起在神户和读者筹划的集会。给我们表演的当地的川柳作家,已故的时实新子,在那天早晨,像背着龟壳一样严肃地咏叹道一句。
すさまじい体験ほど伝えるのが難しい。「裂けた心」は、たやすく字や声になるものではなかろう。片や震災を知らぬ世代の先頭はもう高校生だ。景色や住人は移ろい、あの惨状と、整然たる支え合いを語り継ぐ意思が、年を追って大切になる。
对人叙述这段让人可怕的体验是困难的。“心碎”难道是简单能够理解的文字或三言两语的东西吗? 没有经历过那场震灾的同一代的人,最大的已经是高中生了。城市的面貌和居民都不断改变,震后的惨状和一直在有条理的维持重建工作的口头流传的想法,随着年龄的增长也变得尤其重要。
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