災害のときに誰もが案じるのは大切な人の消息だ。声を聞くまで、姿を見るまでは、心ここにあらずとなろう。関東大震災で大勢が避難した東京・上野公園では、一番目立つ西郷さんの像に、尋ね人の張り紙が何百枚も張られたという
在灾害的时候,谁最关心的都是与自己关系密切的人的消息。不听到其声音,不见到其人,心中都一定会发慌吧。关东大地震的时候在东京上野公园的避难所里,在最前方西乡隆盛的塑像下,寻人启事的纸张贴了几百张之多。▼上野のお山は身内や知人を捜す声が昼夜絶えなかった。「深更(しんこう)の二時三時頃には、全山の其(その)叫び声が寝耳に徹して、何とも云(い)ひ知られぬ悲痛の感に打たれた」と、ジャーナリストの宮武外骨(がいこつ)は書き残した。生きてあれと願う必死の声、声、声で、山全体がうなったのである
上野公园的山上,寻找家人和朋友的声音昼夜不绝。记者宫武外骨曾写道“深夜两三点中,山上的叫喊声不绝于耳,真有一种说不出来的悲痛感”期盼亲人生存的一声一声响彻全山。▼東北には今も、大切な人を捜して叫び続ける方が大勢いる。1面にある「被災者数」の欄は、発生から38日たってなお行方不明の人は1万を超す。奇跡という言葉さえ遠ざかり、「せめて無縁仏にはしたくない」と語る涙に胸がつぶれる
现在的东北寻找亲人的叫喊声也是持续不断。在一面“遇难者人数”的栏上,已经发生了38天的灾难仍然还有超过1万人失踪。奇迹这个词已经渐行渐远了,只能心痛的说出“至少别成为没人看管的坟吧”▼岩手県山田町では、ともに後継ぎ息子をさらわれた漁師2人が、海へ出て捜している。2人の妻は毎朝避難所を抜け出し、岸で名を呼んで泣いている。喪にも服せぬ人の多さに津波の酷を思う
在岩手县山田町,共同寻找继子的两位渔民正在出海寻找。两人的妻子每天早上也走出避难所到海岸边呼唤孩子的名字。丧事是也有很多穿不上衣服的人,可见海啸的可怕。▼漁師は「避難所の人は表で笑っているけど、皆そんな気持ち。俺らもそうだ」と言う。おそらく被災地の「喪の途(みち)」は只事(ただごと)でなく長いのだ。復興のかけ声に虚(うつ)ろな人を、置き去りにしては進めない
渔民说“避难所里大家的表情虽然还在笑,大家都是这样的心情。我也一样”。恐怕受灾地的“丧途”不是简单的事情,而是要长期持续下去。高喊复兴的人,只是把话留下了,但是不见进展▼被災した人が一人になったときの顔への、想像力を失うまい。震災前の日本は「待つこと」の苦手な社会になっていた。最も歩みの緩やかな人を見失わない復興が、いまは大切だ。
从受灾的人们脸上都看到了想象力的失去,地震前的日本本身就是一个不善于等待的社会。而那步履阑珊望不到的复兴,现在是最重要的。