日本の大地震に思うこと
作者:池芸芸(三江学院)
三月十一日、インターネットで、「東日本でM9.0の巨大地震が発生しました。」という記事を見た。日本は地震多発国だと知っていたが、こんなM9.0の巨大地震は発生したことがないので、大いに驚いて、本当のことだと信じかねた。しかも、地震だけではなく、大津波の襲来を招き、原子力発電所事故も併発して、日本の人々は人命、財産に甚大な損害を被った。
地震発生後、私は日本の名古屋にいる母の安否が気がかりでならなかった。友達もメールで、母のことを尋ねて、心配してくれた。新聞で、家屋が全部倒れ、町が水浸しとなり、泣きながら子供が両親の姿を探しているなど、いろいろな痛ましい記事をみて、心が痛くなった。そして、口では言えない気持ちになり、ますます母のことが心配になった。やっと、母と電話が繋がり、名古屋は震度4の地震であったものの、放射能の影響はないと聞いて、ちょっと安心した。そして、母に早く帰国してほしいと伝えた。ところが、母が「まだ帰りたくない。」と答えた。「どうしてですか。今の日本は危険ではないですか?」私は心配して、たくさんの疑問が頭に浮かんだ。だが、その後、母の気持ちが分かった。母は、もう十年以上日本に住んでいるので、いつの間にか、日本に対して、特別な感情が出てきたのだと思う。母は、もう日本を第二の故郷とするかもしれないと思う。日本の生活にすっかりなれていて、日本人との付き合いも深まっているから、母は日本が好きになっていると思う。
たびたび日本へ行っている私も、いつの間にか、日本に特別な感情をもつかもしれないと思う。日本人は非常に責任感を重視すると思う。彼らは放射能が漏洩する危険な所でも部署を守ってがんばっている。自分の生と死は度外視して人々に奉仕している。生命は確かに貴重で、国と人々のために身を犠牲する人は本当にめったにいないと思う。私はずっと信じていることは、人間は一番危ない時に一番偉大な行為をするに違いないということだ。多くの感動させられることが伝えられた。
「人民中国」に、会社経営者の佐藤充さんが中国人研修生を真っ先に避難させ、自らは犠牲になったことが載っていた。「佐藤充さんは時間と駆け足している最中に、自分の家族ではなく、研修生を先に救った。二十人の研修生の一人でも亡くしてはいけないと思って助けてくれた。その後、自分の家に戻った佐藤充さんは海水に巻き込まれて、姿が見えなくなった。」と研修生は涙を流して述べている。研修生たちは産みの親から命をもらったが、佐藤充さんに再生の機会をもらったと思う。読んだ時に、私は涙が出るほど感動した。
今回の大災害に対して、日本の人々が慌てず騒がず、整然と秩序を守って行動したことに、私は深く印象づけられた。本当に恐ろしいことに、地震や津波や放射能漏洩事故でとても酷い被害が出たのに、災害に負けず、力を合わせて、復興に取り組んでいる姿に私たちは頭が下がる。地震はひとごとではない。地震を前に、人類全体が天災という共通の敵と戦い、また、互いに助け合うという共通の責任を果たさなければならない。災害に遭遇した時は、どんなに小さい援助でも人々の心に希望の灯を灯すことができる。
日本の隣国としての中国は、当日に、日本政府に対してお見舞い電を送付した。時を置かずに、中国救援隊が岩手県に入り、救援行動を行い、国内ではさまざまな団体と組織が義援金活動を開始した。さらに、ネットには、「頑張れ!日本」という激励する言葉が多く寄せられ、精神面で被災民を支えた。 あの時、中国の各地で日本の大震災に対して支援の輪が大きく広がった。その活動から中国人の真心を見ることができるだろう。中国も日本も漢字を使っているから、「愛」の一字には「心」があることを皆が知っている。「愛」の心で、援助の手が差し伸べられている。中日両国は切っても切れない一衣帯水の隣国だ。中日双方は歴史を忘れてはならないが、過去に寛容に対処し、心から真の友好関係を構築しなければならないと思う。
そうだ。救援には国境がない。愛にも国境がない。私たちは自然を支配できないが、国を越えて、災害対策に取り組めば、被害を少なくできる。自分の心を強くすることができる。そして、相互に助け合ううちに、心が通いあうようになる。
日本の大地震をとおして、日本人の社会や人々のために貢献する心や決してあきらめずに最後まで努力する姿に感動した。私も母のように日本が好きになってきた。
(编辑:何佩琦)
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