私は日本に恋している
作者:倪雨晴(扬州大学)
幼い頃、ある夏の日、家の庭で遊んでいたら、母に聞かれたことがある。
「晴の夢は何?」
「わからない」と私は考えもせずに答えた。
「じゃ、将来は何をしたい?」
母は私の顔をじっと見つめて何かを期待しているように見えた。
「わからない」
素っ気ない私の答えに、母のいつもの優しい笑顔が急に消えてしまったように思えた。その時、母の瞳には親として子供の私の将来に大きく期待する、何か水晶のようなきれいなものが流れていた。その時の母の瞳は子供なりに深く私の記憶に残っていた。
あれから何年かがたった。思い出すたびに母のあの眼差しが気にかかるようになった。そもそも夢というのはなんなんだろう?そんなことどうでもいいじゃないと思っていたのだった。
趣味ならたくさんあった。ピアノとか絵画とか結構好きだったが、それも中途半端な性格のため最後までやりきれなかった。すばらしい青春を無駄にしたような悔しさが残ってしまった。いつか、また夏がきた。あるきっかけが大きく私を変えた。それは大学に進学して、日本語と出会ったことだ。とてもうれしかった、新しく生まれ変わったような気がした。毎日が輝いていて、日本語を学ぶのを楽しんでいた。日本から来た交換留学生のバディーを自ら進んで希望し、お付き合いさせていただいたおかげで、日本人の友達もたくさんできた。今度こそ夢を見つけたのだと確信していた。
しかし、ショックを受けたことがあった。日本語を教えてくださった先生と話をしていたら、「私は日本が嫌いだ」と言われたのである。意外なことばに理由も聞けなかった。クラスメートたちも似たようなことを言った。東日本大震災が起こった際、周りに喜ぶ人たちがいた。
「昔日本人が中国にした悪行にとうとう罰があたったのだ」と震災に苦しむ人たちを悼む心は少しもなかった。残酷すぎると思った。
なぜそうなるのだろう、一度犯した罪はいつまでも許されないのだろうか。
そんな時、突然母から電話がかかってきた。思い悩んでいたことを全部ぶちまけた。
「おかあさん、なんで皆日本が嫌いなの、日本を好きになってはいけないの。」
憤激のあまりに声が震えた。電話のむこうで、母はただ黙り込んでいた。少したって、落ち着いた声でこう言った。
「晴の夢はなに?」
思いがけない質問に思考が止まった。
「それは…。」
母は聞き続ける。
「晴は将来何をしたい?」
「わからない。でも、日本はきっと皆の思うような悪人ばかりの国じゃないよ」
「なら、みんなを納得させて、そのために頑張ればいいじゃない」
その瞬間にふと気がついた。母の言った夢というのは別に大きなものでもない。それはただ自分の気持ちに素直になることだ。もっともっと多くの中国人に自分の思いを認めさせたければ、そのために頑張ればいいと教えてくれているのだ。
同年の7月に、私はありがたい機会を得て、日本を2週間ぐらい訪問した。その目で自分の信じ続けてきた日本の姿を確かめたのだ。日本人は電車の中で他人に迷惑をかけないように携帯電話をマナーモードにし、絶対大声で話したり騒いだりはしない。TOTOという世界一のトイレを作る会社を見物して、私はその最先端を走るすばらしい技術と行き届いた設計に驚嘆した。こうした日本人の礼儀正しさや思いやりの精神、先端技術と自然にやさしい物づくりの理念、それらはわが国が日本から勉強すべきものだ。
最後の日に発表会が行われた。発表のテーマを「私は日本に恋している」に決めた。私はこう発表した。「私は日本が好きだ。好きで好きで言葉で表せないぐらい、恋しているように心が引き付けられている。そして、自分の夢は中国の人たちに真の日本を伝えることだ。日本人は人を殺すような化け物ではない、皆やさしい心を持つ人たちだということを信じてもらいたいのだ」と。
日本を去る日、乗り込んだ飛行機の窓から、青空がいつもより明るく見えた。母はもうこの世にはいない。でも、きっとどこかで日本と私の絆を見守っているに違いない。やっと夢をもてた私に優しく微笑んでいるのだろう。
ふと窓の外を眺めると、見送りに来た日本人の先生と友達が必死に手を振っていた。なぜか胸がきゅっと詰まった。何かを叫びたい気持ちになったが、頭が真っ白になった。ただ心の中にある音が響いた。
「ありがとう、日本」。
(编辑:何佩琦)
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