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「少年よ大志を抱け」のクラーク博士が札幌農学校の開校にあたって着任すると、細かい校則ができていた。博士は「規則で人は育てられない」と言い、「ビー・ジェントルマン(紳士たれ)だけで十分だ」と校則を廃したという▼
提倡"少年要胸有大志"的Clark博士, 当年来到刚刚成立的札幌农学院就任的时候, 发现学校制订了详尽的校规. 据说Clark博士认为"靠规则是无法把学生培养成才的", "成为绅士就足够了", 于是把校规废除了.
元気ざかりの生徒である。不始末もあったようだ。だが、博士は「何をしていいか、だめか、自分で考えて判断する」よう求めた。10代後半の少年らを「大人」として遇したということだろう▼
学生们正是茁壮成长的年龄. 也难免会有犯错误的时候. 然而, Clark博士要求学生们"应该做什么, 不应该做什么, 自己思考, 自己判断". 也就是说, 把十八九岁的少年们, 当做"大人"对待.
いまなら何歳をもって大人とすべきか。民法では明治半ばから「20歳」とされている。一世紀ぶりに年齢を引き下げる是非を、鳩山法相が法制審議会に諮問した。憲法改正を問う国民投票法が、18歳で投票できると定めたのがきっかけである▼
换成今天, 应该在多大年龄之后才算"大人"呢? 根据民法, 明治中期以来, 规定为从20岁起算. 100年之后的今天, 对于年龄是否下调的问题, 鸠山法务部长在法制审议会议上征求大家的意见. 契机在于, 事关修宪大局的国民投票法规定, 18岁即享有投票权.
「大人とは」の定義は多彩だ。「20歳」は明治の平均寿命や、精神的成熟度からはじいたそうだ。いまや寿命は大きく延びた。つられてか、物心ともに親がかりの歳月も延びている。30歳までは未成年、という声も聞こえてくる▼
"大人"的定义可谓五花八门. 据说"20岁"是根据明治时期人们的平均寿命和精神成熟度算出来的. 如今寿命大幅上升了,相应地, 身心成熟延迟, 依靠父母抚养的岁月也在增加. 甚至有意见认为, 直到30岁为止都算未成年.
「大人とは」に続けて、「裏切られた青年の姿」と言ったのは太宰治である(『津軽』)。人はあてにならない。太宰によれば、その発見こそが、青年が大人になるための必修科目らしい。賛否は置き、人は人にもまれて大人になるのに違いない▼
"所谓大人", 就是"被欺骗了的青年的样子" -- 说这话的是太宰治(<<津轻>>). 不可寄希望于他人. 照太宰的话来说, 发现这一道理, 恰是青年长成为大人的必修课. 是否赞同姑且不论, 任何一个人都要经过人间历练才能长成大人, 这一点是毫无疑问的.
とはいえ「紳士たれ」だけで己を律する自信はなく、裏切られての溜(た)め息も御免こうむりたい。年を重ねても、「大人」たることは容易ではない。その大人が若い世代の「大人年齢」を審議する。思えばなかなかの難役である。
话虽如此, 单靠"成为绅士"来自律的话我可没有自信, 我也不想有被欺骗之后的感慨. 就算年纪大了, 真正长成"大人"也并非易事. 让大人们审议年轻一代"年龄多大才算大人", 可以想象, 实在难为他们.