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103歳で亡くなった日本画家の片岡球子(たまこ)さんは、浮世絵師の渓斎英泉(けいさい・えいせん)を描いている。自作の美人画に囲まれ、遊び慣れた風にくつろぐ英泉。原色しま模様の弛(たる)んだ着物に、右手でつまむ白杯の硬さが浮き上がる。86歳の作とは思えぬ軽快さだ▼
103岁逝世的日本画家、片冈球子女士,曾画过浮世绘大师溪齐英泉的肖像。画中英泉被自己创作的美人图所包围,一副自若放松的神情。身着原色岛屿图案的宽松和服,右边还衬出手握白杯的棱角。笔风轻快另人想像不出已是86岁高龄之作。
若い頃は帝展や院展によく落ちた。「落選の神様」と呼ばれた当時を、後に女子美術大学の後輩たちに語っている。「展覧会が近づくと、みんな私を避けて通るんだよ。ほんと悔しかった。負けないぞと思ったね」(奥岡茂雄『片岡球子・個性(こころ)の旅路』)▼
年轻时她常在帝展及院展中落选。后来还把被自己被人称“落第之神”的事讲给女子美术大学的晚辈们听。“每到临近展览时,大家都躲着我。真的很懊恼,我决定不会输给他们”(奥冈茂雄《片冈球子·个性之旅》)。
歴史上の人物の「面構(つらがまえ)」シリーズは還暦後だ。時にユーモラスに描く武将や高僧、絵師らの顔は、歴史の教科書で見るより人間くさい。この人なら今の世をどう考え、動いたかと夢想して筆を運んだそうだ▼
历史上人物的“面相”系列创作于她花甲之后。时而被诙谐描写的武将、高僧、画家们,比史书中的记载更加鲜活。据说她是想像画中人若活在当今社会将如何看待、如何行动才下笔的。
奔放な画風が地位を得た頃、最晩年の横山大観からの「助言」が興味深い。酒豪の大観は、杯を右手のつめで弾(はじ)きつつ片岡さんに話したという。「この音が描けなければ一人前じゃない」▼
奔放的画风占据席位时,晚年横山大观给她的“助言”非常有趣。据说被奉为酒豪的大观先生,一边用右手手指轻弹酒杯,一边对片冈女士说“画不出这个声音,就不算一名画家”。
だから、人も山も内面に踏み込んで向き合った。そうして描いた杯を弾けば、心で陶器が鳴る。「私の富士山は理想の山じゃなく、いつも生きている山。変な形になればなるほどいいんです」は95歳の言である。「暴れ回るように描きたい」と、最後まで時代に媚(こ)びなかった▼
因此,无论是画人或写山她都深入其中。这样画出的酒杯,就会为心灵而奏鸣。“我的富士山不是理想中的,而是有生命的。形状越奇特越好”,这里她95岁的话。“想画出它的胆荡不羁”,她坚持到最后不曾取悦于时代。
折しも本日、大観の没後50年展が東京で開幕する。大家を通した大観と、遅咲きながら長く香った片岡さん。ともに日本の伝統絵画を前に進めた。「面構」の主たちを交えて、天寿の杯を交わす頃か。▼
恰逢今日,大观逝世50年展于东京开幕。巨匠大观和大器晚成却长盛不衰的片冈女士,共同推进了日本的传统绘画。现在正是他们相逢“面相”的主人举杯共庆天寿之时吧。