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関西に住む知り合いの詩人から、「生活語」でつづった詩集を送ってもらった。生活語とは耳慣れないが、土地土地の方言をはじめ、俗語や職業語など、暮らしの中で使われる言葉をさすそうだ。北から南まで、121人の詩人の作品を載せている▼
从在关西居住的一位认识的诗人那里得到了用“生活语”编纂的诗集。“生活语”听起来虽然有些陌生,但是以各地的方言为首,收集了俗语、职业用语等在生活中使用的语言。里面刊登了从北到南121位诗人的作品。
〈此(こん)の家(ち)に嫁いで来んしたとき/まずは 玄関先で/一升ますの湯呑(のみ)の水を飲めんした/此の家の水の飲み始めですんにゃ/一生飲みますという/花嫁の誓いでごぜんす……〉(「敷居またぎ」岡崎純)。北陸は敦賀の言葉だという。共通語に言い換えれば消える、彫りの深い言葉が連なっている▼
“从嫁到这个家来之时起 / 首先要在玄关前 / 用汤吞饮用一升水 /开始饮用这个家的水/ 就要一生饮用 /这是新娘的誓言……”(“过门”冈崎纯)。北陆据说是敦贺的语言。是用富有地方印记的语言写的,换成普通话来讲的话这些语言就会消失了。
「(宮崎を)どげんかせんといかん」。宮崎県の東国原知事が叫び続けたお国言葉も、共通語にない魅力を宿していたのだろう。あれよあれよと人口に膾炙(かいしゃ)し、今年の「新語・流行語大賞」に選ばれた▼
“「(宮崎を)どげんかせんといかん」”。宫崎县的东国原知事持续呼吁的方言也是有普通话所没有的魅力吧。“あれよあれよ”如今脍炙人口,被选入今年的“新语・流行语大奖”。
24回目になるが、方言が選ばれるのは珍しい。危機感にかられた窮余の言葉が、思いがけず羽ばたいた格好だ。ともあれ、「選ばれたのは地方からの魂の叫びが届いたから」と知事はご満悦だ▼
虽然是第24回,但是选上了方言还是很难得的。深陷危机中的语言令人以外地又显示除了活力。无论如何,知事喜悦的说:“被选上是将来自地方民心的呼喊传达了”。
だが悲しいかな、手持ちのパソコンで変換すると「度源河川(どげんかせん)と移管(いかん)」となる。共通語なら「どうにかしないと行けない」と、ほぼ正しく表示される。機械の中にも、中央と地方の“格差”があるらしい▼
但是悲哀的是如果用个人电脑输入就变成了“移交度源河川管辖”。普通话的话,”不想个什么办法就不行”大概可以正确表示它的意思。即使在机器中好像也存在中央和地方的“差别”吧。
国語学の金田一春彦氏によれば、新来者にも分かるように努めて陰影を消したのが東京語、つまり共通語なのだという。それに収まらない豊かな一語一句を、冒頭の『続現代日本生活語詩集』でしみじみ味わわせてもらった。
据国语学的金田一春彦所说,为了使外来的人也可以理解而努力消除含蓄的东京话,也就是所谓的普通话。在<续现代日本生活语诗集>的序言里,我深深的体会到了普通话里所没有包涵的丰富的词句。