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きのう70歳で亡くなった稲尾和久さんは、西鉄ライオンズの黄金時代を鉄腕で担った。入団の年から巨人と日本一を争い、3連覇した1958(昭和33)年。大型新人、長嶋茂雄との初対決が面白い
昨日,以70岁高龄辞世的稻尾和久,曾经是西铁LIONS黄金时代的一号种子。自入团伊始,便与巨人队展开了争夺日本第一的激战,并于1958年(昭和33年)时,勇蝉三连冠。后来与新星投手长岛茂雄的首次对战,也是很有意思。
▼稲尾さんはじっと目を見たが反応は何もなく、戸惑いながら得意のスライダーを放る。「ぼーっと立っていた肢体が突如反応し……打たれたことのないコースを打てるはずのないフォームで打たれた。味わったことのない恐怖を、私は覚えた」(日本経済新聞社『私の履歴書』)
稻尾一直盯着对方,可对方却丝毫无反应。半带疑惑着使出了杀手锏的曲线球。(他回忆道)“傻愣愣站着他,突然对我的进攻作出了反应……从未被接到的球,却被出其不意地打了回来。我至今还记得当初的那种前所未有的恐惧感”(日本经济新闻社《我的履历书》)
▼長嶋は何も考えていないらしい、と気づくのは3連敗の後である。本能で反応してくる天才打者を相手に、それならと、ノーサイン投法で挑んだ。ここからの4連勝は語り草だ
当注意到长岛在比赛时都是一副毫无警惕的样子时,已是三次出局了。考虑到对方是个以本能来作战的天才投手,因此他决定用ノーサイン投法来挑战对方。至此开始后的四胜局成为了人们的话题。
▼自由な空気の球団では、型破りの個性が勝手に、しかし強烈にはじけた。内野に中西太、豊田泰光、仰木彬、外野には「青バット」の大下弘。そしてベンチの知将、三原脩(おさむ)。そこに鋼の腕が加わる。野武士軍団のきら星が、男の子たちを午後の空き地に走らせた
在有着自由氛围的球队,队员们方能随意并强烈地迸发其独有的不同个性。内野队的中西太、丰田泰光、仰木彬,外野队的“蓝棒”——大下弘。还有坐凳上的军师——三原脩。再加上钢铁投手。野武士军团的闪耀之星,驱使着男孩子们在午后的空地上奋力奔跑。
▼現役生活は太く短く14年。最初の8年で234勝という密度に驚く。投げて投げてまた投げる。疲れを知らぬ機関車は、時代が違えば海の向こうでも「神様」になっただろう。だが、本人は一切を「バカになれた時代の幸せ」とくくった
短而实地14年职业生涯。前8年中的234次获胜,让人震惊于如此的高密度。投球、投球、反反复复地投球。如同不知疲惫地机车,如果时代交错的话,在海の向こう也会成为战神吧?但本人却很低调地把这一切归为“愚世之中的幸运儿”。
▼「戦後の復興を果たし、成長し続ける日本……そうした時代のエネルギーが西鉄ライオンズに、私の右腕に注入されたのだ」(同)。時代に熱をもらい、時代を熱くした。昭和30年代の「馬力」がまた伝説になる。
“实现战后的复兴,并不断成长发展的日本……这样的时代所具有的能量,注入到西铁LIONS、注入到我的右臂中”(出处同上)。汲取时代之热能,反过来促使其发更多的光热。昭和30年代的“马力”再次地成为了传说。