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ソロンといえば古代ギリシャの七賢のひとりで知られる。諸国巡りの旅に出たとき、ある王に「世界一幸せな人物は誰か」と問われた。王は「自分こそ」のつもりだった。だが、ソロンが別人の名をあげたので怒る
说起棱伦,他可是著名的古希腊七贤之一。在周游诸国时,有次被某国国王问道:“你觉得谁是这世界上最幸福的人?”国王本想他会回答是“当然是国王您了”,但从棱伦口中却听到了别人的名字,国王表现出了怒意。
▼ソロンはあわてずに、答えて言った。「あなたに莫大(ばくだい)な富があることは知っている。だが生涯を終えるまでは何とも言えない。このうえに結構な死に方ができて初めて、幸福な人物と呼ぶに値するでしょう」。ヘロドトスの『歴史』(岩波文庫)が述べる逸話である
棱伦不慌不忙的说道:“您拥有庞大的家财,这早便知晓。但终其你一生前,并不能妄自定论。在(拥有庞大家财)其之上,您如果还能有个精彩的终结法,这样方能称得上是个幸福的人吧。”这是希罗多德在其书《历史》(岩波文库)中所记的一段逸事。
▼功なり名とげた人生も、死に方ひとつで幸不幸の彩りは変わる。ソロンの言う「結構な死」とは、名誉ある死だった。いまなら尊厳ある死だろうか。それを大きく左右するのが、終末期医療だろう
即使是功成名就的人,一个死法,就能改变其幸与不幸的色彩。棱伦所说的“精彩的终结”,就是指有名有节地终其一生。用现在的话讲,就是死也要死得有尊严吧。而能左右这个的,便是末期治疗吧。
▼過剰な延命を望む人は、いまや多くあるまい。さりとて「自然な終わり」を迎えるのは簡単ではない。国などの音頭取りで、延命中止のルールづくりが進んでいる。だが素人目には、死にゆく人を主人公にした印象は薄い。医師による、医師のためのルールでは、という懸念がぬぐえない
期望过多地延长自己生命的人,现在并不多见。然而要迎接自然的死亡却并非易事。各国中有关终止生命延长的法令法规正在实施进行着。可外人看来,对于即将死亡的人,作为主人公来看待的这份印象,却很淡然。而之与医生,这样的一些为医生所制定的法令法规,却不免令人担忧?
▼夏に封切られたドキュメンタリー映画『終りよければすべてよし』も、幸せな最期がテーマだった。生きることを支える力と、人の死への思想が、そのための両輪だと、羽田澄子監督はメッセージを込めている
夏季上映的纪录影片《美丽的人生要有完美之死》中,也是把幸福的终结,做为影片的主题。其影片的导演羽田澄子作了这样一番点评:“支持生存的力量和思寻死亡的意味,这是本影片所构思的两个方面(两个车轮?)。
▼先ごろ、小紙「ひととき」欄で「95歳で天国に凱旋(がいせん)した母」という文章に出会った。「凱旋」の語にひかれ、結構な旅立ちは、両の輪がうまくかみ合ってのものだったろうと、独り想像した。
之前,本报的「一时」专栏曾刊登出一篇名为《天寿圆满,凯旋西归的95岁老母》的文章。为文中的“凯旋”二字而折服,我思考着,精彩的人生之旅,正是需要那两个车轮的默契配合吧。
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医師による、医師のためのルールでは、という懸念がぬぐえない
这句译的时候,感觉和以前的文句,连不通啊