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首相の「職を賭す」発言を伝える新聞で、久しぶりの表現に出合った。政府高官のコメント「首相はルビコン川を渡った」である。過去の記事を調べたら意外に多くて、年に3、4回は紙面に登場している。
在报道首相表态“赌职(不怎么怎么我就辞职)”的报纸上,我发现了好久没见过的表达方式。政府高层声明使用了“首相渡过了卢比孔河(首相作出了毅然决然的决定)”。我查了一下过去的报道,让我意外的是这种表达竟然很多,每年有3、4次要登上报纸的。
イタリアのルビコン川は、ローマに攻め上るシーザーが元老院令を犯して渡った史跡。転じて「後戻りできない決断や言動」の例えに使うが、日常会話にはまず出てこない。
意大利的卢比孔河,是攻打罗马的凯撒将军违背元老院禁止渡河命令的史迹。由此引申用于“没有回头之路的决断和行动”的例子,但并不会出现在日常会话中。
文化庁の国語世論調査によると「そうは問屋が許さない」を使っている人が24%いた。そもそも、問屋の役割を知る人が減っているのだろう。正しくは「卸さない」だが、流 通 革 命で問屋の立場は弱まり、卸さねば小売業者はメーカーや産地と直取引を試みるだけだ。
据文化厅国语普查结果表明,使用“そうは問屋が許さない(事情不如愿)”惯用语的人有24%。本来嘛,知道这个惯用语中的“問屋”(批发店)的人正在减少吧。正确的用词非“許さない”而是“卸さない”,但是由于 流 通 革 命,批发店的作用减弱,没有了批发,零售者只有试着与厂家或产地直接贸易了。
「出る釘(くぎ)は打たれる」は19%が使っていた。本来は杭(くい)だが、打たれる杭を見た人がどれだけいるか。元の史実や事物の通りが悪くなると、故事や慣用句は使いづらい。存亡の危機。どんな言葉も、誤用を含め、ちまたの会話に登場してこその命といえる。「使っている鍬(くわ)は光る」ともいう。
“出る釘(くぎ)は打たれる(出头的钉子挨锤子敲,枪打出头鸟)”使用的人有19%。本来惯用句中非“釘”(钉子)而是“杭”(桩子)才对,但又有多少人看过被打的桩子呢。如果不了解原来的史实和事物的来龙去脉,成语或惯用句就用不好。现在处于存亡的危机之中。任何语言包括误用,只有进入街头巷尾的普通百姓会话之中,才具有生命力。可以说是“常用的铁锹亮晶晶”吧。
同じ調査で、書けない漢字を調べる手段を聞いた。「紙の辞書」に次ぐのは「携帯電話の漢字変換」だ。30代以下は携帯が首位、20代では8割を占める。慣用句に疎くても、機械と組んで「憂鬱(ゆううつ)」や「薔薇(ばら)」を平気で使う時代がきた。これで難字も生き残る。
该调查还对不会写的汉字通过什么手段进行查找进行了调查。结果是,“查纸面字典”的最多,“利用手机汉字变换功能”的次之。30岁以下的人靠手机的最多,20岁以下的占8成。即便是对惯用句不熟悉,也可以依靠“设备”很轻松地查出“憂鬱”或“薔薇”之类难字的时代来临了。由此,难字可得以存在下去。
作家の出久根達郎さんは「漢字を正しく書けることは、それほど重要でなくなるかもしれない」と語る。書くから打つへ、日本の手書き文化は、もうルビコンの向こう岸に近い。
作家出久根达郎说“是否能够正确书写汉字,也许不再那么重要了”。由“写”变成“打”,日本的手书文化,已经快到了罗比孔河的对岸了。