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徳川300年の太平の眠りを破ったのは黒船だった。そんなに仰々しくはないけれど、太平楽な眠りを1匹の蚊に破られるのも、天下の不愉快事の一つだろう。私見だが、蚊が出るのは暑さの盛りよりも、一段落した今ごろの方が多いのではないか。
打破德川300年太平梦境的是那艘黑船。即使不可与之同日而语,被一只蚊子搅扰了舒心清梦,也该算是天下烦心事之一吧。依笔者看,与盛暑之际相比,蚊子之猖獗,似乎更在如今这炎热稍退的季节里。
「蚊の鳴くような」その声も、浅い眠りの耳元には十分大きい。羽音をもうろうと聞き、見当をつけて頬(ほお)のあたりをひっぱたく。何度かしくじれば、呪いの言葉を吐いて布団をひっかぶるしかない。だがすぐに暑くなるから、はねのけて、また迎撃の仕儀となる。
常用来比喻声微音弱的“蚊子声”,对睡眠浅轻的人来说足够吵闹烦人的了。朦胧昏睡间耳闻振翅声,凭感觉瞄准目标朝着脸上就是一巴掌。几度出师不利后,无奈吐出几句脏话怨言,蒙头盖被了事。可是马上又会热得掀被露头、再次展开与蚊子的拉锯战。
不愉快は古来不変らしく、遠く鎌倉初期にも恨み節が残る。〈夏の夜は枕を渡る蚊の声の僅かにだにも寝こそ寝られね 藤原良経〉。明治の文人正岡子規も蚊を「刺客」と呼んで憎んだと、文芸評論家樋口覚さんの『短歌博物誌』(文春新書)に教わった。
如此烦心不快之事,似乎亘古未变,远在镰仓时代初期就有这样的抱怨。“夏夜萦绕枕边蚊声 任其微乎其微仍不得眠 ~藤原良经”。读文艺评论家樋口觉先生的《短歌博物志》,方知明治时代的文人正冈子规亦曾称蚊子为“刺客”并为之愤愤然。
「田舎の蚊々、汝(なんじ)竹藪(たけやぶ)の奥に生れて、其(そ)の親も知らず、昼は雪隠(せっちん)にひそみて伏兵となり、夜は臥床(がしょう)をくぐりて刺客となる……」。滑稽(こっけい)味を添えつつも「汝の一身は総(すべ)てこれ罪」と難じ、恨みは深そうだ。
“乡间蚊虫 尔等生于杂草灌木丛中 不知谁乃父母 白昼如伏兵藏于便厕之隅 夜晚如刺客潜至卧榻之畔……”。行文走字不乏滑稽幽默感,却以“尔等之身 皆为罪孽”句谴责,可见对蚊子怨恨之深。
「蚊」とひとくくりにされるが、国内には100種類ほどいる。温暖化で生息域が北上しているものもあるようだ。媒介する病気の危険地域が広がる、と心配する専門家もいる。
我们总称之为“蚊子”的,在日本国内就有100种之多。据说其中亦有因地球变暖由原本栖息之地北上日本的。有专家担忧,会因此而导致蚊子传播病疫之危险区域的扩大。
太平の世、蚊が実は怖い虫だと、つい忘れがちだ。せんだっても、米国をパニックに陥れた西ナイル熱の病原体を、日本の蚊も媒介すると分かった。しつこさに根負けし、ままよと刺されるのは、避けた方がよさそうである。
身居太平世道,人们往往忽略忘记蚊子实际上是非常恐怖的飞虫。就在前不久被证实,日本的蚊子也会传播曾一度使美国陷入恐慌的西尼罗热的病原体。因此,疲于蚊子的纠缠、最终干脆任其叮咬的态度,似乎不可取。