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昭和と切っても切れない人だからか。夏のきわみに、この春死去した城山三郎さんをめぐる本の出版が相次いでいる。17歳で入った「軍隊」が残した傷痕から出発し、生涯をかけて戦争を追究した作家である。
也许因为是和昭和息息相关的人的原因。在这个夏末,相继出版了有关在这个春天去世的城山三郎先生的书。他是一位17岁便参军,从战争所遗留下的创伤中启程,毕其一生都在追究战争真 相的作家。
亡くなる前年にお会いしたとき、特攻の話になった。戦争末期に「桜花」という特攻機があった。着陸する車輪さえなく、体当たりだけを目的に作られた兵器である。あるとき米国の航空博物館で、城山さんは実物を見る。あまりにも狭い操縦席に、胸をしめつけられた。
在他去世的前一年见面时,曾谈过有关特攻的话题。在战争末期,有一种叫做『樱花』的特攻机。连降落时用的轮子都没有,仅仅只是一种以冲撞敌机为目的而设计的兵器。在某个时期,城山先生曾经在美国的航空博物馆里见到过实物。过于狭窄的驾驶舱,让人唏嘘不已。
若者が身体を折りかがめ、兵器の一部となって乗り組んでいく。悲劇的な姿が脳裏に迫った。人格など顧みられず、人間が消耗品扱いされた時代を痛感したという。死んでいった兵への愛惜を語り、「行かせた者は許せない」と目をしばたかせていた。
年轻士兵把身体蜷缩成一团,作为兵器的一个组成部分共同乘机而去。悲剧性的形象萦绕于脑海中。让人痛感到那个随意践踏人格,人类被当作易耗品使用的年代。城山先生讲述着对死去的士兵们的爱惜之情,不停的眨着眼睛说『不能原谅那些当局者们』。
そして、城山さんのいない8月15日が巡る。人命を湯水のように戦場につぎ込んだ指導層の責任を、城山さんのように問う戦中派もいる。横浜の飯田進さん(84)は、南方での餓死、病死のありさまを書き残そうと、時間と競争の執筆を進める。
再回到没有城山先生的8月15日。也有像城山先生那样一直在追究把生命像倒水一样泼到阵地上的指挥者的责任的战时派。现年84岁高龄的横滨的饭田进先生正在进行一场和时间赛跑的写作,他想要把在东南亚一带士兵饿死,病死的悲惨样子纪录下来传给后世。
自らも死線をさまよった。軍部は拙劣な作戦を繰り返し、補給もなく、おびただしい兵を野たれ死にさせた。その責任に目をつぶって、惨めな戦死者を「英霊」と呼べば、戦争の実相を隠すと思うからだ。
自己也在死亡线上徘徊过。军部不停的重复着拙劣的作战计划,连供给也没有,让大量的士兵抛尸荒野。之所以对那责任视而不见,把惨死的牺牲者们叫做『英灵』,我想是因为想隐藏战争的真 相吧。
この夏の、城山さんをめぐる一冊に、若いころの本人の詩があった。戦争を、〈暖い生命を秤売(はかりうり)する〉ものだと突いている。気骨の作家の遺訓が聞こえてくるような、62年目の蝉(せみ)時雨(しぐれ)である。
在这个夏天围绕城山先生所出版的一本书里,有一首他本人在年轻时代所写的诗。矛头直指:<战争是把温暖的生命量斤出售的东西>。像是为了让大家都听到那有骨气的作家的遗训一样,第62年的蝉声,像阵雨般的响起。
绿色部分译的不是很到位。请高人指教。谢谢。