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わが家から駅への途中、歩道に沿ってケヤキの大木が9本並んでいる。目測だが背丈は20メートルを超す。いまの季節、緑の枝を存分に広げて、威風堂々たるものだ。木々があるとないとでは、毎朝の趣は随分違うだろう。
我家前往车站的路上,沿人行道种有9颗大榉树。我目测一下,树高足有20米。现在这个季节,它们正尽情地舒展着绿色的枝杈,很是威风凛凛。如果没有这些树木,那我每天早上的情趣将会有很大的不同吧。
そう思ったのは、杜(もり)の都・仙台市が、ケヤキの処遇をめぐって紛糾していると聞いたからだ。青葉通のケヤキ並木といえば街のシンボルである。223本あるうち50本が、地下鉄駅の新設のために撤去される。これを伐採するか、よそに移植するかで市民の意見が割れている。
之所以这样想是因为我听说了森林之都仙台市在榉树的处理问题上产生了争议。提起仙台市青叶通的街道树——榉树,那可是城市的象征。223棵榉树中有50 棵,因为要建设新的地铁站,将被去除。是将它们砍掉还是把它们移植别处,市民的意见不一。
伐採なら1本60万円だが、移植だと320万円かかる。親しみ深い樹木でも、5倍以上となれば考え込む人は多いのだろう。先日、市民1万人にアンケートをしたら、回答者の半数強が伐採を支持した。「非常に悩ましい」と移植派の市長は困惑しているそうだ。
如果砍掉,一棵要花60万日圆,而移植则一棵需花320万日圆。虽说是亲切有加的树木,但如果需要5倍以上的费用,想必就会有很多人犹豫不决了吧。前些时候,对一万名市民进行问卷调查,结果回答者当中有半数以上赞成砍掉。听说,主张移植的市长表示“非常难过”,不知如何是好。
岐阜県の「荘川桜(しょうかわざくら)」を思い起こす。60年代初め、御母衣(みぼろ)ダムの建設で水没する村に、2本の桜の巨樹があった。それを40日がかりの移植で救った。いま、村の記念樹のようにダムのほとりで毎春花を咲かせる。
我想起岐阜县的“庄川撄”。60年代初,因御母衣水库的建造而被水淹没的村子里,有两棵大樱树。人们花了40天的时间对其进行了移植抢救。如今,一到春天,水库旁的这两棵樱树就会开花,犹如村子的纪念树一般。
難事を決行したのは、電源開発の初代総裁だった高碕達之助である。そのときの心情を「この巨樹が……青い湖底に、さみしく揺らいでいる姿がはっきり見えた」と述べている。
果断解决这一困难的是电源开发有限公司的第一任总裁高碕达之助。关于当时的心情,他描述道:“我清清楚楚地看见这两棵大树……在蔚蓝的湖底,孤寂地摇曳着”
地方の財政はどこも厳しい。「感傷」に予算を割く余裕などないのかもしれない。だが50本のケヤキを救う物語は、杜の都なればこそ、語り継がれる市民の財産になるようにも思う。仙台市は、秋までには結論を出すそうだ。
地方财政到处都是困难的。也许没有宽余可给“伤感”划拨开支。但是我同时又想,拯救50棵榉树的故事,正因为是发生在森林之都,才更会成为市民世代相传的财富。据说,仙台市将会在秋季之前做出决定。