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2006年11月23日の「天声人語」

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ほのかに、新しい木の香が漂う。外が見通せる明るい階段の先に、二十と四年で世を去った明治の人の世界があった。

新木飘香,清爽怡人。看得见室外、光线充足的楼道尽头,前面就是一个只活了204岁的明治时代才女的世界了。

 作家樋口一葉にちなむ資料を所蔵する東京の「台東区立一葉記念館」が今月、新装なって開館した。木の香りは懐かしさを誘うが、打ち立てのコンクリートの壁からは資料を劣化させかねないガスが出るという。紙の資料は複製が展示されている。

藏有作家樋口一葉相关资料的东京台東区立一葉記念館装修一新后于本月开放。木材的香气虽然引人幽思怀古,但据说从新建的水泥墙壁中却会渗出一种气体,可能会腐蚀资料。(因此,)所展示的纸质资料均是复制品。 

館内を巡って、短く、しかし強く生きた一葉の生涯をたどると、改めてその際立った心意気が思い出された。22歳の年の日記にこう記した。「人情かみの如くうすく……世はいかさまにならんとすらん……わがこゝろざしは国家の大本にあり」

漫步馆内,探寻一叶短暂而又坚强的一生,再一次回想起她那特色鲜明的精神气概。她22岁那年在日记上这样写道:“人情薄如纸,世事伪且欺……吾志在国之根本”

一方に、あの「たけくらべ」の哀切な世界がある。「廻れば大門(おおもん)の見返り柳いと長けれど、お歯(は)ぐろ溝(どぶ)に燈火(ともしび)うつる三階(がい)の騒ぎも手に取る如く……」(岩波文庫)。吉原の遊郭という独特な場所の周辺に生きる人々の思いを、見事に描き出した。

与此同时,她又有着哀伤的另一面,一如《青梅竹马》所描写的。“绕个弯儿,朝大门回望而去,柳条特别的细长,染黑牙的浊水流入沟里,三楼的灯光投影水中,那喧嚣似乎触手可及……”(岩波文庫)寥寥数语就把吉原青楼这种特殊场所周边生活着的市井百姓的心情生动地勾画出来。

森鴎外主宰の雑誌「めさまし草」の合評欄に「たけくらべ」に関する一節がある。「此人の筆の下には、灰を撒きて花を開かする手段あるを知り得たり……此人にまことの詩人といふ称をおくることを惜しまざるなり」

森鴎外主编的雑誌《觉醒草》的集体评论栏里,载有关于《青梅竹马》的评论一节:“该作者妙笔生花,深谙有种本领叫“种瓜得豆”……该作者若赠之以“真正诗人”之誉,也在所不惜也(也不以为过也)。”

館を巡り終えて、まことの詩人の肖像が印刷された札を、1枚取り出してみた。他の札と違って、5千円は札束にはなじまないようだ。使われる時も1枚だけのことが多い。一葉は、札になっても一葉か。それが、やや切なくもあり、あの心意気の高さにはふさわしいようでもあった。今日が、命日にあたる。

结束参观后,我从钱包里取出一张印有“真正诗人”肖像的纸币仔细端详。感觉这张5千円,和其他的纸币不同,好象不适宜叠合成捆。叠合成捆的。使用时,通常也是单独1张的。是否一叶印成纸币后仍是“一叶”(一张)呢?这未免稍稍有点令人难过,但正好与她高尚的情操相符匹配。今天,是她的忌日。

 

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