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2006年09月30日の「天声人語」

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 「あれあれっ」。助手席からの声に、あわてて正面を向く。前方左手の電柱が、一気に目の前に迫ってくる。とっさにハンドルを右に切って、危うく衝突を免れた。30年以上も前の、一瞬の脇見運転の記憶だが、思い返すたびに背筋が寒くなる。

“哎呀呀!”。听到副司机座上人的喊声,我赶紧将脸转向前方。马上就要撞上左前方的电线杆子了,我把方向盘急速地向右打,才避免了险些撞上的事故。这虽是30多年前的一瞬间的精神溜号开车,但每当回想起来就不寒而栗。

 埼玉県川口市で、市道を歩いていた保育園児たちが、乗用車に次々とはねられ、死傷させられた。運転していた容疑者は、カセットテープを入れ替えようとして脇見運転したと供述したという。日課の散歩の途中、突然命を奪われた園児や家族の悲しみは、計り知れない。大惨事に至った原因を徹底的に調べてほしい。

埼玉川口市,走在市营道路上的幼儿园小朋友们,被轿车接二连三地撞倒而死伤。据说开车的犯罪嫌疑人供述道:当时他正在欲更换录音磁带而没有看前方。在日常的散步途中而突然被夺去生命的幼儿园小朋友和家人,他们的悲痛是无法估量的。我希望彻底调查导致悲惨事故的原因。

 現場は、日本の至る所で見かけるありふれた通りのようだ。ハンドルを握る以上、注意を怠ってはならないが、散漫に陥る可能性は残念ながらゼロではない。だからこうした道を今のままにしておけば、悲惨な事故はまた起こり得る。

事故现场是日本随处可见的普通道路。只要手握方向盘,就不可放松注意力,但陷入精神不集中的可能性遗憾的是并非零。所以说,这样的道路维持现状不变的话,还可能发生悲惨的事故

 人と車との関係が、改めて問われていると思う。車が、あたかも道の主役であるかのように振る舞い、人を道から追いやってきた車社会をどう考えるのかという問題だ。

我想我们应该重新认识人与车的关系了。车象道路的主角一样横冲直撞,把人从道路上赶下来,这样的车世界我们到底该怎样认识。

 人と車を、今より格段に分離してはどうか。例えば、歩道の無い道には車は進入させない。逆に言えば、車の入る道には必ずガードレールや歩道を設ける。それでも事故の根絶は難しいが、出来ることを積み重ねるほかはない。安全のためにかかる費用は、税金を使うだけではなく、車を造り、売り、使う側も負担する。

从现在开始将人和车不同对待进行分离如何?比方说,没有人行道的道路不准车辆驶入。反之,车行驶的道路务必设置隔断或人行道。即便如此,杜绝事故尽管是困难的,但不外乎做所能做的。花在安全上的费用,不单单只使用税金,也让造车的、卖车的、用车的负担。

 犠牲を繰り返さないための手だてをどうとるのか。惨事は、車社会全体の責任をも問うている。

采取什么手段才能避免不断的死亡呢?悲惨事故已经告诉人们应该追究整个车辆社会的责任了。

 

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