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2006年09月05日の「天声人語」

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地上3階まで吹き抜けとなっている地下3階の床に立つと、足元に波音が響いた。次いで静けさが訪れ、今度は鳥のさえずりが頭上を通り過ぎていく。
站在敞通至三楼的地下三楼的地板上,脚底传来阵阵声浪,随后便是一片沉寂,接着小鸟啼鸣着飞过头顶。

「自然のゆらぎ」を室内音に反映する。そんな空間が、東京渋谷の商業施設「表参道ヒルズ」にある。表通りのケヤキ並木が風や光に姿を変える。その不規則な変化をカメラがとらえ、コンピューターで音を出す間隔を微妙に変えていくという。

这是用室内音来演绎“自然的摇”。在东京渋谷的商业设施“表参道Hills”有那样的时空。街道两边排列整齐的榉树在风与光影中变幻身姿。据说用照相机拍下那些不规则的变化,通过计算机微妙地变幻发出声音的瞬间。

天井で直径約1メートルの半球形スピーカーがゆっくり首を振る。音は光の束のように届き、床でも直径5メートルほどの円内しか強く聞こえないという。100を超す大小のスピーカーがあり、時と場所によって音がうつろう。静寂に感じる間をおいて浴びる「音のスポットライト」が心地よい。
天花板上直径约1米的半球形扬声器在缓缓运转。声音仿佛光束般传递,据说既便是在地板上也只能是在直径5米左右的圆孔内才能明显的听到。约有超过100个大小不一的扬声器,声音随着时间、地点的变化而改变。置身于万籁沉寂的时空,沐浴在“声音聚光灯”下的心情是愉悦的。

「間は魔に通じる」。歌舞伎では間の大切さや難しさを、こう表現する。間をとるという古来の発想が、コンピューターを通して演出した音のつくりものらしさを薄めるのかもしれない。
“时空能通魔”。歌舞伎里是这样表现时空的重要性和困难。自古以来获取时空的念头,或许能够淡化用电脑所诠释的合成声音吧。

「変化させても、変化させられた音という感じがのこる」。作曲家の高橋悠治さんはコンピューター音楽の難しさを、一瞬ごとに変化する風の音と比べて述べる。「おなじように発音されるおなじことばの微細な表情の翳りを何千年も読みとってきた人間の耳をだますことができない」(『音の静寂 静寂の音』平凡社)。
“即便使其改变,仍然会抱有强迫改变声音的感觉”。作曲家高桥悠治用瞬息万变的风声作对比,来说明制作电脑音乐的困难。“相同发音、相同言语的细微表情的变化,也无法蒙骗数千年来已经对其熟知的人们的耳朵”(《音之静寂,静寂之音》平凡社)。

街には人工音があふれている。街頭の大画面が絶えず発する音に、店外まで響くBGMが絡む。携帯電話の音も入り交じる。時には、私たちの耳が読みとってきた自然の「間」との調和を大切にしたい。

大街上四处洋溢着人工合成的声音。街头大屏幕不停播放的声音,夹杂着甚至连店外也能听到的店内播放声。手机的铃音也混杂其中。偶尔也希望能珍视与我们耳熟目染的自然的“时空”之间的和谐。

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