论坛讨论地址: http://www.kantsuu.com/bbs/dispbbs.asp?boardID=121&ID=63467&page=1 煙突を改造した展望台から、青森港が眼下に広がる。海面すれすれをカモメが飛んでいく。88年に廃止された青函連絡船で、最後まで就航していたのは8隻だった。青森に係留されているのは、そのうちの八甲田丸だ。 从由烟囱改造成的了望塔上放眼望去,青森港就展现在眼前。海鸥跌宕身姿,飞掠洋面。青函(注:青森和函馆两地名的见简称)渡船停航于1988年,保持到最后航行的共有8艘。如今停靠青森岸边的,就是其中的“八甲丸”。 観光客向けに公開されているが、最盛期に比べ客数は5分の1に減った。船体の塗装ははげ、老朽化は著しい。補修費を集めるため、商工会議所が中心となって今月初め、「守る会」がつくられた。 现在虽然对游客开放,可上船的人数与它的黄金时代相比,只有5分之1了。船身油漆斑驳,破旧不堪。为了筹集修理费用,本月初由商会牵头成立了“保船协会”。 津軽海峡を挟んだ函館港には、摩周丸が浮かんでいる。事情はこちらも同じだ。維持費がかかる中、どうやって保存していくか、模索が続いている。ほかでは羊蹄丸が東京の「船の科学館」に、大雪丸が長崎港に係留されている。大雪丸は約10年間、海上ホテルとして利用されたが、昨年末営業を終えた。 与之隔津轻海峡相望的函馆港,停泊着“摩周丸”。其景况也是一般无二。在耗费维护费用的同时,探寻着能得以保存下去的出路。其他,“羊蹄丸”陈列在东京的《船舶科学馆》里,“大雪丸”号停靠在长崎港内。大雪丸”号曾被用作海上的旅馆达10年之久,在去年年底才停止了营业。 羊蹄丸の元航海士で、連絡船のその後を調べている川村修さん(48)によると、残る4隻は海外に売られ、数奇な運命をたどったという。石狩丸と空知丸はギリシャの船会社の所有になり、エーゲ海やアドリア海でフェリーとして活躍した。黒海航路に転じ、ルーマニアやトルコの港につながれていたが、いまは引き取り手を探している。石狩丸はスクラップとして、すでにインドに曳航(えいこう)されたとの説もある。 听曾是“羊蹄丸”号上的大副,追踪调查着渡船停航后去向运的川村修先生说,余下的4艘全被卖到国外去,可谓是命运多舛。“石狩丸”和“空知丸”为希腊的一个船公司所有,行驶在爱琴海以和亚德利亚海上当渡轮。后来改航黑海航道,羁留于罗马尼亚和土耳其的港口,寻找买主。另有一说,称“石狩丸”已经报废,并被拖到了印度。 フィリピンでカジノホテルとして利用されていた十和田丸と、インドネシアに売られた桧山丸は、もう自力では動くことができないそうだ。 在菲律宾被用作赌场的“十和田丸”和被卖到印度尼西亚的“桧山丸”号,据说已不具备自航能力了。 こう見ていくと、いくら赤字とはいえ、ふるさとに残った八甲田丸と摩周丸は、随分幸せな余生を送っているように思える。 如此看来,留在故乡的“八甲田丸”和“摩周丸”,尽管赤字累累,已算是得以欢度幸福晚年的了。 |
2006年07月16日の「天声人語」
文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语