论坛讨论地址: http://www.kantsuu.com/bbs/dispbbs.asp?boardID=121&ID=54692&page=1 明治期から昭和にかけて、文明批評に健筆を振るった長谷川如是閑に、こんな言葉がある。「生命は刹那(せつな)の事実なり、死は永劫(えいごう)の事実なり」(「如是閑語」)。死の永遠性に比べれば、生きている時はあっという間だと、生あるものの切なさを述べる。
从明治到昭和期间,在社会评论方面健笔如飞的长谷川如是闲曾说过这样的话:“生命是刹那间的事实,死亡是永恒的事实”(《如是闲语》)。道破了与永恒的死相比生只是一个瞬间,这一生命体的苦恼。
刹那の側から永劫の方へと移る境目を、どんな状態で迎えるのか。自分の意思はどう扱われるのか、果たして意識はあるだろうか。死というものを考える時、そんな思いもよぎる。
我们会以怎样的状态来迎接从刹那转向永恒的那一刻呢?自己的意见会得到怎样的处置,甚至,到底还有没有意识呢?考虑到死的时候,就会闪过这样的念头。
富山県の射水市民病院で、7人の患者が人工呼吸器を外されて死亡していたことが分かった。病院によれば、患者は意識が無く回復の望みがない状態で、治療の責任者だった外科部長はいずれも家族の同意を得て外したという。7人とは別に、呼吸器を外されかけた患者があり、その家族は「取り外しについての説明はなく、外すようお願いしたこともない」と語る。生と死の境目の場面での証言が食い違っている。
在富山县的射水市民医院里,有7位患者因人工呼吸器被摘除而死去了。据医院方面说,患者已神智不清且康复无望,治疗责任人外科主任在逐个获取了家属的同意后摘掉的。在这7人之外,另有患者也差一点被摘除呼吸器,其家属说:“并无关于摘除的说明,也没有请求他们摘除”。生死关头,证言却产生了出入。
病院側は、外科部長の行為が「延命治療の中止措置」だったとして「倫理的、道義的に問題があった」と謝罪した。延命中止についての国の指針は、まだできていない。
医院方面以外科主任的行为为“延命治疗的中止”,道歉道“在伦理、道义上有问题”。国家还没有制定任何有关延命中止方面的方针。
厚生労働省の02年度の調査では、自分が末期がんなどで痛みを伴い、余命に限りがある場合、単なる延命治療は中止して欲しいとする市民が7割強を占めた。前もって延命治療を拒否する考えを文書で残す「リビング・ウィル」に賛成する人は初めて半数を超え、6割となった。
根据厚生劳动省02年的调查,希望在自己得了晚期癌症等疾病而痛苦难当、余日无多之时中止单纯的延命治疗的市民达7成以上。赞成事先写下拒绝延命治疗的“生死遗嘱(Living Will)”人数也首次超过了半数,达到了60%。
死は直視し難い。しかし、いつかは訪れる。あらかじめ対応を考えておくのもいいのかも知れない。
死亡,叫人难以面对。然而,它总有一天会到来。早一点想好如何来应对或许也不错。
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2006年03月28日の「天声人語」
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