论坛讨论地址: http://www.kantsuu.com/bbs/dispbbs.asp?boardID=121&ID=52908&page=1 「一朶(いちだ)の」とは、花のひと枝や雲のひとかたまりを表す時に使われる。司馬遼太郎さんが、『坂の上の雲』(文芸春秋)のあとがきに書いた。「のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう」 “一朵”这个词一般形容一朵花或者一团云。司马辽太郎在《斜坡上的云》(文艺春秋)的后记中写道,“上坡的时候,若是蓝天上有白云在闪耀,眼中便只有白云,追随着白云向上爬” 政府も軍もまだ小さかった明治期を舞台に、やがて日露戦争を勝利に導く群像に光を当てて描いた。当時、部分部分の義務と権能をもたされたスタッフは、そのチームを強くするというただ一つの目的に向かって進んだとも司馬さんは述べる。一朶の雲とは、群像の目標であり、当時の日本が追い求めた国の姿でもあったのだろう。 作品以政府以及军队势力还很弱小的明治时期为舞台,将日后指引日本取得日俄战争胜利的群体比作那闪耀的光芒。司马还说道,当时各个成员只被赋予某部分的义务以及权职,他们的目的只有一个,那就是让自己的队伍强大起来。一朵云代表群体追寻的目标,也可以认为是当时的日本所追求的国态。 日露戦争の後、日本は坂道を転げ落ちるようにして泥沼の戦争にのめり込む。行き着いたのが太平洋戦争だった。『坂の上の雲』には、駆け足で近代化を進めた時代を扱いながら、後の苦い歴史までをも見通す独特の視点が生きている。 日俄战争结束后,日本从斜坡滑落,滑入战争泥潭,最终走向了太平洋战争。《斜坡上的云》描写了飞速发展现代化的那个时代,同时又预见了以后的苦难历史,体现了作者独特的视点。 司馬さんが72歳で急逝したのは、96年の2月12日だった。その時、妻みどりさんが発表したメッセージにこんな一節がある。「司馬遼太郎はいつもこの国の行く末を案じておりました」 司马先生在1996年2月12日72岁时匆匆离开人世。当时,他的夫人在悼词中说道“司马辽太郎一直牵挂着国家的前途命运”。 それから10年後の、この国の姿はどうだろう。国民の信頼を裏切るような問題の続発は、戦後の日本の60年の軌跡を問い直すようにもみえる。 10年过去了,现在这个国家变成什么样了呢。欺骗国民的事件接二连三地发生,似乎在诘问战后六十年日本走过的路。 焦土から立ち上がり、国際社会に復帰し、経済成長を遂げ、バブルが崩壊して今に至る。この激動の中、いわば視線を中空に漂わせたまま、なりふり構わずに突き進んできたのかも知れない。今は、足元を見つめ直す時だろう。 日本经历了从废墟中崛起,回归国际社会,经济快速增长,泡沫经济崩溃,一路走到今天。在这一系列的激烈变化中,视线一直在空中游移,闷头向前冲。现在,该好好看看自己的脚下了。 |
2006年02月15日の「天声人語」
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