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2006年01月30日の「天声人語」

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三武(みたけ)久美子さん(58)が「質屋の女房」になったのは、二十数年前のことだ。8人きょうだいの末っ子で、幼いころに父を亡くし、母のお供をして質屋によく通った。それがどういう巡り合わせか、質屋さんと結婚した。

三武久美子(58)当上“当铺老板娘”,已是二十多年前的事了。久美子是家里8姐弟中的老闺女,幼年丧父,常陪着母亲跑当铺。一来二去的竟成就了姻缘,与那当铺老板就这么成了两口子了。

 そんな思い出を収めた『本日は定休日』(文芸社)を読み、東京・品川の店を訪ねた。かつては路地の奥に出入り口があり、窓には格子がはまっていたそうだが、いま、店は通りに面して明るく、格子もない。 读了写有这段回忆的《今日歇业》(文艺社),我又去看了看那家坐落在东京·品川的当铺。听人说以前是在胡同底有一个门洞,窗户上还安着窗格子,现如今,店面就在马路边上,敞敞亮亮的,窗户上也没了那格子了。


 「いまのお客さんは、生活費というよりも、小遣いがちょっと足りないという人が多いようです」と三武さんは話す。むかし、シャンデリアを(しち)(ぐさ)として持ってきた人がいたのには驚いた。質草の主流は、衣服や電気製品から貴金属やブランド品のバッグに変わってきた。

  三武女士说了,“现在来的客人,已不为了日常开销了,很多人是为了零花钱不够才来的”。从前,还有人楞提着树叉似的大玻璃吊灯来当的,好家伙,把人吓一跳。如今的当头已大多成了衣服、电器,还有贵金属、品牌包什么的了。

 質屋の始まりは鎌倉時代といわれる。いまや消費者金融に加えて、銀行までが争って金を貸す時代である。昭和30年代に全国に2万店あった質屋は、4千店に減った。

  据说当铺始于镰仓时代(注:1192~1333)。现在,当铺已加入了消费者金融业的行列,与银行一起,争着给人放贷。昭和30几年全国还有当铺2万家,现在只剩下4千家了。

 それでも、まだまだ根強い人気がある。三武さんはその理由を「万一、お金を返せなくても、取り立てはしないし、事情があれば返済を待つこともあるからでしょう」と語る。身の丈にあった借金であり、貸手には人の情もあるのだ。  话虽如此,当铺的生命力仍然倔强。三武女士分析了其中的道理,“万一还不上,也不会去讨债,因为客人有个马高蹬短的,当铺也能等啊。”就是说,借钱的已掂过了自己的斤两,放贷的也留着情面。


 東京で質屋の常連客となったのは、「地縁血縁のない上京者だった」。そう書いたのは、ドイツ文学者の故種村季弘さんだ。最近、三武さんの店には、アジアの国々からの「上京者」が目立つ。病気の母に仕送りしなければならない、などと聞かされると、つい多めに貸してしまうそうだ。 已故的德国文学专家种村季弘先生在文章里写过,在东京常光顾当铺的,都是些“人生地不熟的进京者”。而最近,光顾三武女士当铺的,好多是来自亚洲各国的“进京者”。据说老板娘只要一听说是要给生病的母亲寄钱什么的,就心一软多给两个。

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041227种村季弘

德国文学专家、本报的书评委员种村季弘先生是在炎热的季节里去世的。昨天,报上刊载了书评委员推荐的今年的3本书。读了《总编敬白》,得知种村先生早早地就将侯选书之一告诉了经办者。在这年终之际,我想来谈谈这个人。

我从他的创作以及编辑、翻译著作的书名中抽出些熟语,罗列了一下。恶魔的黑色炼金术之梦里古怪人影和怪物的奇想迷信逃出恐怖奇谈永久机关的温泉与游星漫游展览会的迷宫。

有点像对幻想和异端的爱的咒语,不过近年来他又以“徘徊老人”而闻名。那也可看作是他探索都市这个巨大的迷宫与人的关系之旅。

在《江户东京〈奇想〉徘徊记》(朝日新闻社)中,他写道,只要翻开一层柏油路面,隐藏其下的地层就会纷纷上场。“即使在一片超现代色彩的东京也能一窥江户以及明治的遗风如弄脏了的残雪似的脸”。

73年,他在与田村隆一的对话《改头换面的都市》中这样谈论道,“地名是追忆的线索……地名不断地改变就不会像永远是现在这样乏味”。次年田村所写的《诗人的笔记》中的一节,现在听来就像临别赠言。“滴下去/水的声音  在树叶上/树叶在土上 不久就将归于/泥土的颜色  ……‘时间并未过去/过去的是人’”

许久以前,我在深夜的酒馆吧台上看到过种村先生。这个迷宫里的怪人,看起来就像是一只悠然停息在栖木上怪鸟。

041227《天声人語》

 ドイツ文学者で本紙の書評委員でもあった種村季弘さんが亡くなったのは、暑い頃だった。昨日、書評委員が薦める今年の3点が載った。「編集長敬白」で、種村さんが候補の一つを早々と担当者に告げていたと知り、年の終わりに、この人に触れたいと思った。

 自著や編、訳書などの題から熟語を抜き出し、つないでみた。悪魔の黒い錬金術の夢が器怪な影法師と怪物で奇想の迷信となり無気味な綺譚を逸脱して永久機関としての温泉と遊星の漫遊する展覧会の迷宮。

 幻想と異端への愛の呪文のようだが、近年は「徘徊(はいかい)老人」としても知られた。それは都市という巨大な迷宮と人との間柄を考える旅だったとも見える。

 『江戸東京《奇想》徘徊記』(朝日新聞社)には、アスファルトを一枚めくると、隠れていた地層が次々に姿を現すと書いた。「ポストモダン臭一色(しゅういちしょく)になった東京にも江戸や明治の名残が汚れた残雪のように顔をのぞかせている」

 73年の田村隆一との対談「変貌(へんぼう)する都市」で述べた。「地名というのは追憶の糸口です……地名が次々に変えられていくのでは、永遠の現在みたいになってしらけちゃうわけで、こんな困ることはない」。翌年の田村の「詩人のノート」の一節が、今は、送る言葉のように響く。「落ちる/水の音 木の葉/葉は土に 土の色に/やがては帰って行くだろう……『時が過ぎるのではない/人が過ぎるのだ』」

 相当前、深夜の酒場のカウンターで種村さんを見かけた。迷宮の怪人は、暗い止まり木で悠然とくつろぐ怪鳥のようにも見えた。

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