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戦前の逓信相小泉又次郎氏の肉声を聴く機会が先日あった。小泉首相のおじいさんである。札幌市の元公務員森山正男さん(65)が先月末入手した古いレコード盤に演説が収められていた。電話口でそれを聴かせていただいた。
前些天,有幸听到战前通信省大臣小泉又次郎的声音。小泉又次郎是小泉首相的祖父。在札幌市原公务员森山正男(65岁)上月末得到的旧磁带里收录了小泉又次郎的演说。笔者是通过电话听到的。
*ていしん-しょう ―しやう 【逓信省】<交通・通信行政を管掌した中央官庁。1885年(明治18)創設。1949年(昭和24)郵政省と電気通信省に分離。
「予算成立後の会期最終日に突如議会を解散するとは武士にあるまじき行為。予算食い逃げ内閣である」。昭和12年の春、林銑十郎内閣の唐突な解散を糾弾した。朗々とした声、文語調の言い回し、殺し文句の使い方も巧みだ。その5年後に生まれる孫が後年首相を務め、解散を強行することになるとは知るよしもない。 “预算成立后的会议的最后一天突然解散议会对于武士而言是不应该有的行为。是对预算食言溜走的内阁”。这是弹劾昭和12年春,林铣十郎内阁突然解散的演讲。朗朗的声音、文言风格的表达方式、语言的用法也很巧妙。他可能不会想到其在五年后出生的孙子会成为首相,并且做出强行解散内阁的事情。
又次郎氏は「入れ墨大臣」と呼ばれた。神奈川県の漁村にとび職の次男として生まれた。背中に竜の図を彫り、港で気の荒い労働者を束ねた。教員や県議をへて衆院当選12回、城山三郎氏の『男子の本懐』(新潮社)にも庶民派大臣として登場する。
又次郎先生,人称“刺青大臣”,是神奈川县渔村一名架子工的次子。背部刻了一个龙的图案,管理港口上暴躁的工人们。曾当过教员和县议员,后来在众议院12次当选,还在城山三郎先生的《男子的本愿》(新潮社出版)一书中作为平民派大臣登场。
戦前の政界名鑑を開くと、普通選挙運動の闘将として「血を吐くような熱弁」をふるったとか、警官の制止をはねのけて「活火山のごとく」演説したとある。扇動型の弁舌だったらしい。
翻开战前的政界人名簿的话,可以看到他作为普选运动的猛将,展开过“吐血一样的热情的演说”,还有排除警察阻拦的活火山爆发般地演说。有着煽动型的口齿。
それに比べると、昨日の小泉首相の所信表明演説には華がなかった。米百俵の逸話を紹介し、墨子やダーウィンを引いた従来の演説と比較しても、平板で高揚感がない。捨て身の衆院選で大勝し、この先何を志すのか聞いてみたかった。
而比较起来,昨天的小泉首相的信念表明演说就没有才华了。即使与介绍送米一百俵的逸话,引了墨子和达尔文的以前的演说相比较,也是平淡、没有激扬感。由于所在的众议院选举大胜,在此之前是志向于何,只有听来看看了。
注*小泉首相の所信表明演説(平成13年5月7日)で一躍全国的に有名になった「米百俵」。この「米百俵」は、救援米として贈られてきた百俵の米にまつわるエピソードであり、長岡市民がずっと受け継いできた大きな精神的遺産である。 明治のはじめ、戊辰戦争で焼け野原となった長岡城下に、支藩の三根山藩(現在の新潟県西蒲原郡巻町)から見舞いとして百俵の米が贈られてきた。しかし、ときの長岡藩の大参事・小林虎三郎は、この百俵の米を藩士に配分せず売却し、その代金を国漢学校の資金に注ぎ込んだ。 この「米百俵」の故事は、文豪・山本有三の同名の戯曲によって広く知られるようになった。そして「国がおこるのもまちが栄えるのも、ことごとく人にある。食えないからこそ学校を建て、人物を養成するのだ。」という小林虎三郎の主張は、「目先のことばかりにとらわれず、明日をよくしよう。」という思想となり、多くの人に深い感動を与えた。
外見こそ父親似だが、首相の直観や話術は祖父譲りと言われる。ケンカもたんかも上手な「入れ墨又さん」の遺伝子が再び暴れる日が、残り1年の在任中にあるのだろうか。
虽然外表与父亲相似,可是,首相的直观和说话技巧却被认为不如祖父。争吵和口齿都很棒的“刺青又先生”的遗传基因再次活跃的日子,是在剩余1年的在任期间吗?