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霧雨の中を歩く。傘をさすほどではない。限りなく細かい雨粒が緩やかに吹きつけてくるのが心地よい。関東や九州北部などが、昨日梅雨入りした。傘の花咲く季節が始まる。
散步于毛毛细雨中,雨小得用不着撑伞。无数细小的雨点慢慢地吹来,感觉很好。关东及九州北部等昨天已入梅。开伞花的季节开始了。 「愚か者だけが人に貸すというものが三つある。また、貸したものが返してもらえると思ったら、これほど愚かなことはない。それは、本、傘、金だ」。英国のユーモア作家、ダグラス・ジェロルドの言葉という(T・S・クローフォード『アンブレラ』八坂書房)。
“有三种东西只有傻瓜才会出借,此外还想着借出的东西能还回来,真实笨得不能再笨了。这三种东西就是书、伞和钱。”这是英国的幽默作家,道格拉斯· 杰罗尔德(Douglas Jerrold)的话。(T·S·克罗福德(Crawford)《雨伞》八坂书房) 「名前を思い出せないが、どういう物かは言える。他人が持っていく物だ」。米国の思想家ラルフ・エマソンが「言葉の記憶があやしくなり始めたころ」に言ったという。被害が度重なったのか。こんなふうに言い換える人がいるかも知れない。「名前を思い出せないが、それを無くしたくなければ、決して家の外に持ち出してはいけない物だ」
“他人拿走的东西,已想不起名字,但可以说出是什么东西”美国的思想家拉鲁夫·爱玛松针对“词语的记忆开始靠不住的时候”这样说。是否多次遭受损失?也许有人会换句话来说。“虽然想不起名字,但如果不想失去,决不能将它带出家门。”
傘は小さな別世界をつくる。「夜目遠目笠の内」という。傘もまた、その下の淡い影で人をぼんやりと包む。
雨伞制造了另一个小世界。所谓“在夜里、在远处、在伞下更迷人”。雨伞也用其淡淡的阴影将人笼罩得朦朦胧胧。
絵や文学にも数多く登場してきた。6月11日を「傘の日」とする日本洋傘振興協議会の広報紙が、荷風の「ぼく東綺譚」を取り上げている。「わたくしは多年の習慣で、傘を持たずに門を出ることは滅多にない」。そんな男の傘に、「そこまで入れてってよ」と言いつつ、女が首を突っ込んでくる。梅雨の日の情景だ。
伞在绘画和文学中也多次出现。将6月11日定为“伞节”的日本阳伞振兴协会的宣传单上,登载了永井荷风的《墨东绮谭》:“这是我多年的习惯,很少有不带伞出门的”。这样的男人打着伞,说“进来吧,送你过去”,于是女人钻进了伞里。这是梅雨天的情形。 霧雨は、いつか本降りとなった。街の並木にふりかかる。柳が一本、ぬれそぼって立っている。柳は春の季語だが、ふと、芭蕉の一句が思い浮かんだ。傘(からかさ)に押わけみたる柳かな
刚才的毛毛细雨,不知何时开始真的下起来。落到沿街的树上。一棵柳树立在雨里,已经湿透。柳是春季的词语。突然,想起了芭蕉的一句话:“推开油纸伞,了然见杨柳”。