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昭和史の舞台として欠かせない場所の一つに東京・永田町の首相官邸がある。その官邸をできるだけ生かす形で増改築された新しい首相公邸に先月、小泉首相が引っ越した。
29年、昭和4年に竣工(しゅんこう)した旧官邸はライト風とされる様式を基調としている。外観や玄関ホールはそのまま活用され、新しく茶室などができた。
旧官邸を語る時に、まずあげられるのが竣工の3年後の5月に起きた「5・15事件」だ。犬養毅首相が、青年将校らに射殺された。「話せばわかる」という言葉が残る。
この政党**の終わりを告げた昭和史の日付に、世界の喜劇王・チャプリンが絡んでいる。事件前日の14日に船で神戸に入港し、その日のうちに、東京の帝国ホテルに投宿した。
15日、犬養首相の次男で秘書官の健氏がホテルに来て、首相が歓迎会をすると告げたという。後にチャプリンは、16日に招かれていたように記している。首相の遺品の中には、「十七日午前、チャプリン氏 午後、閣議」というメモがあった。一時、将校らには、チャプリンの歓迎会を襲う案もあったという。チャプリンは気付かぬうちに事件に近づき、そして気付かぬうちに通りすぎていた(千葉伸夫『チャプリンが日本を走った』青蛙房)。
「日本がいつまで西欧文明のビールスに感染しないでいられるかは問題だ……日本人の好みも、やがては西欧的企業のスモッグにおかされて、失われてゆくことは必定であろう」(『チャップリン自伝』新潮社)。最初の旅で日本に深い愛着を覚えた彼は、計4回来日した。
东京永田町的首相官邸是昭和史上不可缺少的场所之一。本次尽可能保持官邸的原貌,对其进行了扩建和改造,上个月,小泉首相搬到了改造后的新首相官邸。
1929年(昭和4年)竣工的旧官邸是以wright建筑风格为基调的。这次外观和会客厅保持原貌,新增设了茶室。
提到旧官邸,首先想到的是竣工3年后,在5月份发生了“5·15事件”。犬养毅首相被青年军官枪击身亡。留下了“要是谈话的话应该明白”这样的话。
在这样的宣告该政党**终结的昭和史的日期上,世界喜剧大王卓别林也有着密切的关系。在事件前一天的14日,他坐船进入神户,当天下榻在东京的帝国大厦。
15日,犬养毅首相的二儿子担当秘书官的健氏来到旅馆,据说是来转达首相拟召开欢迎会的消息。卓别林后来的回忆录上说过16日得到了邀请。在首相的遗物中有“17日上午,卓别林先生; 下午,内阁会议”这样的便条。据说军官们曾经作出了在卓别林欢迎会时开枪射击的方案。卓别林在毫不知情的情况下接近事件,在毫不知情的情况下躲过了事件。
“问题是日本不受西欧文明的传染究竟能够坚持到什么时候。……日本人的趣味不久必定被西欧企业的烟雾覆盖并消失掉”(《卓别林自传》)。第一次旅行就对日本产生好感的卓别林,先后来日本一共4次。