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昔の中国の詩人たちの酒好きは並大抵ではなかった。なかでも友人の杜甫に「李白一斗詩百篇」と詠まれた李白は屈指の酒好きだろう。
古代中国诗人的嗜酒是异乎寻常的。其中,被朋友杜甫咏为“李白斗酒诗百篇”的李白,是个屈指可数的嗜酒如命之人吧。
ただ、一斗といっても、いまの3升、つまり1・8リットル瓶3本ほどで、大酒を意味する「海量」にはあたらないという。酒を飲みながらとめどなく詩が流れ出る詩仙ぶりを杜甫は描こうとした(一海知義『漢詩一日一首』平凡社)。あげくのはては酒場で眠りこけ、皇帝の招請にも応じない酒仙だった。
不过,据说所谓一斗,就是现在的3升,也就是1.8升的瓶子3瓶左右,够不上意为很能喝的“海量”。 杜甫是这样描写这位喝着酒,诗就不停地流淌出来的诗仙的。喝到最后他就醉卧在酒店里,是位就连皇帝的召唤也置之不理的酒仙。
杜甫の「飲中八仙の歌」には李白のほか、いろいろなタイプの酒飲みが登場する。朝、三斗の酒を飲んで出仕するが、途中で酒のこうじを積んだ車に出合うとよだれを流す人、ふだんは寡黙だが、五斗を飲んで初めてしゃきっとし、談論風発でまわりを驚かす人もいる。
在杜甫的《饮中八仙歌》中,除了李白,还有各种类型的酒徒登场。有人一大早饮酒三斗去上朝,途中一遇到装酒麴的车子就垂涎三尺,也有人平时沉默寡言,饮酒五斗后神气勃发,谈笑风生,语惊四座。
酒量は違っても、古今、タイプはそれほど違わない。困るのは、酔っぱらうと場所を選ばず前後不覚に陥るタイプである。現代では危険がいっぱいだ。酩酊(めいてい)して車にはねられ、死ぬ人が年々150人以上にのぼっている。忘年会の季節が要注意であることは、いうまでもない。
酒量虽有不同,然而古往今来,酒徒的类型却没有多大的区别。令人头痛是一喝醉就不分场合不知东南西北的那种。在现代更是危险多多。酩酊大酒后被车撞死的人每年都多达150人以上。不用说,在纷纷举办忘年会的时节里更要当心。
宴会で次々に勧められつい飲み過ぎてしまう。そんな経験をすることも多い時期だ。とびきり強い酒をぐいぐい飲んでも平然としていたという中国の周恩来元首相を見習いたい。彼は一度含んだ酒を口をぬぐうタオルなどにこっそり戻していたそうだ。
在宴会上往往被频频劝酒而不觉大醉。眼下就是这种经历的多发时期。这一点上真想向中国的前总理周恩来去学学,他烈酒不管喝多少也总是若无其事。据说他是先将酒含在嘴里,然后在用手巾抹嘴时再悄悄的吐掉。
酒を愛し、月を愛した李白には伝説が残る。酔って水に映る月をとらえようとして転落、水死した、と。李白だと美しいが、もちろん見習うべきことではない。
有关好酒、爱月的李白留下了一个传说。说他大醉之后想去捞水里的月亮,结果落水身亡。这在李白是漂亮潇洒的,但无疑我辈人不该效仿。