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車輪から伝わってくる軽い響きに身を委ねながら目を覚ます。まだ明け切らない窓の外を見知らぬ家並みが流れ、黒い山影が迫る――。こんな一刻に、寝台特急の旅情がある。
将身心沉浸在从车轮传来的轻轻的震动声中,睁眼醒来。窗外,晨曦朦胧中陌生的房屋飞驰而过,黝黑的山影迎面而来……。在此一刻,特快卧铺的旅途情趣油然而生。
ブルートレインの先駆けとなった「あさかぜ」が、来年3月のJRのダイヤ改定で消える。「走るホテル」とも呼ばれたが、新幹線や飛行機に押された。時代の流れだが一抹の寂しさがある。
曾是绿色特快(注:车身涂成绿色的日本JR线夜间卧铺特快的爱称)前身的“晨风”号将在明年3月的JR时刻表更改中引身而退。尽管它又被称为是“飞奔的旅舍”,但还是受到了新干线和飞机的排挤。这当然是时代的潮流,却也给人带来一丝惆怅。
「あさかぜ」は、松本清張の初期の代表作「点と線」の重要な舞台となった。汚職疑惑のある某官庁の課長補佐と赤坂の料亭の女性が、東京駅の15番ホームから「あさかぜ」に乗り込む。14番線に列車がなく、13番ホームから「あさかぜ」が見通せるわずか4分の間に、偶然を装って目撃者を作り出す場面だ。
“晨风”号曾是松本清张的早期代表作《点与线》的重要舞台。书中描写了,有受贿嫌疑的某机关课长助理和赤坂(注:東京都港区地名)小饭馆的女人要在东京火车站15号站台乘座“晨风”,由于第14号线没有列车,在从13站台能看到“晨风”号的短短4分钟内制造出有偶然目击者假象的场面。
「点と線」は、雑誌「旅」の57年、昭和32年の2月号から約1年連載された。九州などの風土を背景に、時刻表の秘めた意外な物語性を駆使して展開する。官と業の癒着の中で、詰め腹を切らされる中間管理職の悲哀と、責任を逃れて太ってゆく高級官僚への告発もにじむ。
《点与线》自杂志《旅》的57年——昭和32年的2月号起连载了约1年。它以九州的风土人情为背景,调动列车时刻表所蕴藏的令人意外的故事性来展开情节。透露出了,对在官商勾结下无辜牺牲的中层管理人员的悲哀的同情,和对逃避责任、中饱私囊的高官的揭露。
「松本清張ほど戦後状況をみごとに体現した作家はいない」。尾崎秀樹さんが『新潮現代文学・清張集』の解説に書いた。それから四半世紀たつが、このところ、テレビでの再演や、傑作選、随筆集の刊行などが続く。確かに、清張さんならどう捌(さば)くかと思わせる事件は後を絶たない。政権党の最大派閥の1億円献金隠しの怪もその一つだ。
尾崎秀树先生在《新潮现代文学·清张集》的解说中这么写道,“没有哪个作家能像松本清张那样精彩地反映了战后的状况”。自此,时间已过去了四分之一世纪,最近有关松本清张作品的电视节目的重播以及佳作选、随笔集的发行等等不绝于缕。确实,使人们联想到要是松本清张在,他将会如何作艺术处理的事件也是层出不穷。执政党最大门派的1亿日元秘密政治献金的怪状就是其中之一。
「あさかぜ」は、静かに走りを終える。しかし、権力の無法な走りの方には終着は見えない。
“晨风”号将静静地走完自己的旅程。然而,权力的肆意横行却仍不见终点。
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一、松本清张(1909~ )日本推理小说作家。出生于北九州小仓市的一个商贩家庭。由于家境贫寒,幼而失学,从13岁起被迫辍学谋生,当过街头小贩、学徒,也做过朝日新闻社驻小仓的西部本社广告制图工。1943年应征入伍,被驱往朝鲜当卫生兵,战后遣送回国,到报社复职。在战后初期日本经济萧条的情况下,他为了养活七口之家,不得不奔波于关西和九州之间,批发笤帚。他在文学回忆录《半生记》(1966)中,感人地描绘了这段辛酸的往事。松本清张长期受歧视受屈辱的生活,为他的思想发展提供了真实的社会和心理依据。他的《某〈小仓日记〉传》(1952)、《菊花枕》(1953)《断碑》(1954)等等,都是通过逆境中人物的生活道路和失败命运来展示时代和社会生后的。
松本清张于1955年以《埋伏》一书跻身于推理小说作家队伍,他以权与法、善与恶、罪与罚等社会问题为题材、披露了日本社会的黑暗,就反映生活的深度和广度而言,比起历来的刑事侦破小说表现出难能可贵的拓展与超越。他的《点与线》(1957)、《隔墙有眼》(1957),间世后深受读者欢迎。