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20世紀初頭の米国シカゴで、「何という新聞好きの国民であろうか」と驚嘆したのは、永井荷風だった。新聞を持たずに汽車を待つ人は皆無で、皆恐ろしい目で新聞を読みあさっている、と(『あめりか物語』)。
在20世纪初的美国芝加哥,永井荷风惊叹道“这是多么喜欢报纸的国民啊!”他在书中写道,“没有人不带着报纸等火车的,大家全都以惊人的目光如饥似渴地读着报纸。”(『美国故事』)
その後、ラジオ、そしてテレビが加わった。多様になったとはいえ、メディア帝国は揺るがず、影響力を振るい続ける。とりわけ大統領選のような大きな催事では、勝敗を左右することもしばしばだ。
后来,又有了收音机、电视机。虽说媒体手段多样化了,但丝毫不能动摇这个媒体帝国,报纸的影响力依然如旧。尤其是在总统大选那样的盛大活动时,常常会左右大选的胜败。
テレビが選挙戦を変質させもした。一見つまらないことも、重要なこととして注目される。4年前のゴア対ブッシュのテレビ討論では、まばたきが話題になった。過去のテレビ討論の分析から、たくさんまばたきをした方が負ける、という仮説を心理学者が打ち出していた。ブッシュ候補がまばたき数でゴア候補を圧倒した。
甚至连电视都演变成了选举大战的工具(电视甚至让大选之战改变了性质)。乍一看并不起眼的小事也作为重要的事情被加以关注。在4年前的科尔对布什的电视讨论时,眨眼睛成了当时的话题。从过去的电视讨论的分析中,心理学家推出了多眨眼的这一方会输这样的假说。当时,候选人布什在眨眼次数上多于候选人科尔。
だが、選挙結果はブッシュ勝利で、仮説にかげりが見えた。今回もまばたき数が計算された。1回目の討論の締めくくりではブッシュ候補が驚異的なまばたき数を記録した。しかし次の討論では、ケリー候補の半分におさえる健闘をしたそうだ。
然而,选举的结果却是布什取胜,这就给上述假说蒙上了荫影。这次又对眨眼次数作了计算,在第一次讨论结束时,候选人布什的眨眼次数多得令人惊讶。但是在下一次的讨论时,据说其眨眼次数硬是控制到了只有凯利(克里)的一半。
新聞は支持を明確にして、他のメディアとの違いを打ち出す。例えば「広い知識と明快な思考」のケリー候補を支持するニューヨーク・タイムズに、「ケリーは行動ではなく分析の人だ」と「行動の人」ブッシュを推すのはシカゴ・トリビューンだ。
报纸与其他媒体不同,它立场鲜明。例如支持凯利(克里)的纽约时报称他为“具有广博的知识与清晰的思路”,“凯利(克里)不是侧重行动而是分析型人物” 与此相反芝加哥论坛报(Chicago Tribune)则极力推举“行动之人”布什。
まばたき数から政策、人柄まで膨大な情報があふれるなかで投票日が近づいている。荷風が描写するように、「恐ろしい目」でもって是非を見抜いてほしい。
在充斥着从眨眼数到政策、人品等的庞大的情报中,投票日正在日渐接近。正如永井荷风所描写的那样,要用“惊人的目光”来看清其是非。
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永井荷风(1879~1959)
日本小说家。 生于东京,曾在外国语学校学习。1902年以受左拉影响的中篇小说《地狱之花》闻名。次年赴美国留学。1907年去法国,在银行任职,写了以国外见闻为题材的《美国故事》(1908)和《法国故事》(1909)。1952年获日本政府颁发的文化勋章。1954年被推选为艺术院会员。 荷风在短篇小说《监狱的背后》、《狐》(1909)和中篇小说《冷笑》(1910)中,对明治末期的人情世态予以嘲讽。“大逆事件”后,对社会批判的文学作品已不多见,他在短篇小说《焰火》(1919)中曾回顾“大逆事件”给他的打击。他对人生抱消极态度,对现实社会不满,却又没有叛逆的勇气,只好追怀过去,最后转向享乐。他的创作开创了日本的唯美派文学。中篇小说《掰腕子》(1917) 、《五叶箬》(1918)等,在反映妓馆生活的同时,给读者展示了一幅幅充满江户情趣的风俗画。在中篇小说《梅雨前后》(1931)、长篇小说《□东绮谭》(1937)中,以同情和怜悯的笔调描写娼妓和女招待的遭遇。这些作品都充满了享乐主义的色彩。 荷风文笔圆熟,作品流露着缠绵悱恻的情调和色情趣味,在社会上引起一股享乐主义潮流。此外还有《大洼通迅》(1913)、《断肠亭杂稿》(1918)、《荷风随笔》(1927)等随笔集。