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先月亡くなった作家の水上勉さんが水俣病と出合ったのは、1959年、昭和34年だった。テレビで被害の状況を見て「これは、白昼堂々と、大衆の面前で演ぜられている殺人事件ではないか。どこかに犯人がいるはずだ」と思った。
上月去世的作家水上勉先生遭遇水俣病已是1959年,昭和34年时的事了。他在电视中看到了受害状况就觉得,“这不是在青天白日、大亭广众下上演的杀人案件吗?一定是有凶手的”。
翌日、水俣に向かう。患者・家族や問題の工場を巡り歩いた。そして犯人は「工場の廃液以外に考えられない」と確信する。「水潟」市を舞台に、奇病にかかったカラスが死体にむしゃぶりつく場面などを描いた推理小説「不知火海沿岸」を発表した。
第二天,他便出发去了水俣。他走访了患者、患者家属以及有问题的工厂。于是他确信,犯人“只有工厂的废液”。后来他发表了以“水泻”市为舞台,有描写患怪病的乌鸦飞扑到尸体上等场面的推理小说《不知火海沿岸》。
既に、この頃には、工場排水を投与したネコの発症が確認されたり、熊本大の研究班が有機水銀説を報告したりしていた。水俣病の「公式発見」から3年が過ぎていた。
这时喂以工厂废水的猫的症状已得到认定,熊本大学的研究小组也作出了有机汞病因说的报告。而距水俣病的“正式发现”,已过了3年。
不知火海沿岸から関西に移り住んだ水俣病の未認定患者と遺族が提訴した裁判で、最高裁が、国と県の行政責任を認める判決を出した。水俣病は、戦後の公害の原点と言われる。判決の意義は大きく、重い。県と国は、甚大な被害を改めて思い、心から患者・家族に謝るべきだろう。
针对从不知火海沿岸移居到关西的水俣病的未确定患者和遗族的起诉,最高法院作出了承认国家和县的行政责任的判决。水俣病被称作战后公害的原点。该判决的意义非常重大。县和国家应该对巨大的受害加以反思,并从内心对患者及其家属谢罪了吧。
「公式発見」から半世紀近くの時が流れた。水俣を書き続ける作家、石牟礼道子さんは「あまりに苛烈な歳月に押しひしゃがれたはて」に、能「不知火」を仕上げたという。竜神の娘の不知火が、弟と共に、身を犠牲にして海の毒をさらう。「苦海浄土」などを収めた全集第3巻のあとがきは、不知火の登場場面の詩行で結ばれていた。「夢ならぬうつつの渚に/海底より参り候」
岁月流逝,自“正式发现”以来已近半个世纪了。据说坚持描写水俣的作家石牟礼道子女士在“极其惨烈的岁月的煎熬下”,终于完成了能剧《不知火》。在剧中,龙神的女儿不知火与弟弟一起以自己的身体为牺牲来清除海里的毒素。收录有《苦海净土》等作品的全集第3卷的跋,就以不知火出场时的诗句来结尾。“我将从深深的海底/去探访难以入梦的,清醒的海滩”。
苦海に投げ出された、すべての命への鎮魂の思いが込められている。
诗句蕴涵着安抚所有被投入苦海里的生命的情思。
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一、水俣病
从1932年到1966年,位于水俣(音玉)市的TISSO株式会社的工业废水几乎不加任何处理地直接排入水俣湾,废水中的甲基汞被海中的鱼类、贝类所吸收,然后由食物链进入人体。甲基汞侵入大脑等神经系统,引起手脚麻木、哆嗦,耳鸣,视野变窄,听力困难,言语表达不清、动作迟缓等各种症状。水俣病患者当中,有发病后一个月就死亡的重症患者,也有被视力减退、头疼、味觉嗅觉、健忘等症状困扰一生的慢性患者。从老人到胎儿,目前已被正式确认的水俣病患者就有12617人(其中死亡的1400多人),而未被确认和因各种原因没有申请的受害者数目至今尚不清楚。水俣病患者与TISSO株式会社和有关政府部门展开了旷日持久的、坚苦卓绝的斗争,在富有正义感的学者、律师的支持下,水俣病患者终于在1973年3月取得胜诉,获得了应有的赔偿。
二、水上勉 (1919~2004.9 )
日本小说家。
生于福井县。父亲是穷木匠。 8岁时被送到相国寺当徒弟。几年后逃出寺院,靠半工半读上完中学,后肄业于立命馆大学。他从事过送报、卖药、编辑等三十几种职业,熟悉日本下层社会的生活。长篇小说《雾和影》(1959)、《饥饿海峡》(1962)等反映了在尔虞我诈的社会里被迫走上犯罪道路的人们的心理。《红花的故事》(1969)塑造了对工作精益求精的手工业者的形象。短篇小说《棺材》(1966)通过次郎作夫妇的惨死,对日本军国主义者发动的侵略战争给本国人民带来的灾难提出了控诉。长篇传记体小说《古河力作的生涯》(1973)写明治末年被无辜处死的花儿匠的遭遇。
水上勉有不少作品都以他的家乡为背景,富于乡土色彩。他笔下的妇女命运悲惨。短篇小说《西阵之蝶》(1962)中的阿蝶、《越前竹偶》(1963)中的玉枝等,都是含冤而死的被侮辱与被损害的妇女形象。他还写了一些以僧侣为题材的作品,代表作《雁寺》揭露了僧侣生活的糜烂。水上勉善于安排故事情节,层次分明,笔触苍劲有力。
三、 石牟礼道子(いしむれみちこ)いしむれみちこ
1927年熊本県天草生まれ、水俣で育つ。『苦海浄土ーわが水俣病』でマグサイサイ賞、『十六夜橋』で紫式部文学賞受賞。著書に『天の魚』『椿の海の記』『アニマの鳥』など。
1927年熊本県天草生まれ、水俣で育つ。『苦海浄土ーわが水俣病』でマグサイサイ賞、『十六夜橋』で紫式部文学賞受賞。著書に『天の魚』『椿の海の記』『アニマの鳥』など。