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2004年10月07日の「天声人語」

作者:jianxion…  来源:贯通论坛   更新:2004-10-12 20:29:00  点击:  切换到繁體中文

 

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昨日の早朝(そうちょう)、久々の強い日差しに誘われて散歩に出た。秋霖(しゅうりん)というには荒々しい前夜までの風雨で、空も町も洗われている。木々の葉先に、しずくが光る。木漏(こも)れ日が、きらめく。季節は違うが〈あらたふと青葉若葉の日の光〉を連想した。

昨日清晨,经不住久违了的艳阳的诱惑,于是出去散步。天空和街市都经过了到头天夜里才停的被称作秋霖的狂风暴雨的冲刷。枝头叶端,水珠晶莹闪烁。透过枝叶的阳光,耀人双眼。虽然季节不同,我还是联想起了一首俳句,“新叶嫩叶间,又见亮日光”。

 芭蕉がそう詠んだ日光を経て、英人旅行家イザベラ・バードが北へ向かったのは、1878年、明治11年だった。彼女は、行く先々で好奇の目にさらされる。

1878年,明治11年,英国旅行家伊莎贝拉·芭德经过了芭蕉如此吟咏过的日光(注:日本地名。枥木县西北部的一个城市),继续往北而去。她每到一地,都引来一片好奇的目光。

 宿の外に千人もが集まったこともあったという。町はずれまで警官が付き添う。「一千の人びとが下駄をはいて歩いてくるときの騒音は、雹(ひょう)がばらばら降ってくる音に似ている」(『日本奥地紀行』東洋文庫)

据说在她下榻的旅馆外甚至聚集过上千人围观。警察一直伴随到郊外。“一千人穿着木屐一起走来时的声音,就像哗啦啦下一场冰雹一样”(《日本腹地纪行》东洋文库)。

 みそ汁が「ぞっとするほどいやなもののスープ」に見えたなど、食べ物の違いや、ノミや蚊にも悩まされた。それでも、東北を経て北海道まで約3カ月の旅を(まっと)うした。

浆汤看起来像是“用可怕的东西弄成的汤”,凡此种种,饮食习惯相差很大,又被虫咬蚊叮所扰。尽管如此,她还是完成了经由东北直到北海道的旅程,历时3个月。

 

「私は、これほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない……抱いたり、背負ったり……手をとり……子どもがいないといつもつまらなそうである」。学校教育が進む以前の日本の家庭や親子関係を活写(かっしゃ)しており、今日でも考えさせられる所があると、民俗学者の宮本常一さんは述べている(『イザベラ・バードの「日本奥地紀行」を読む』平凡社)。

“我从未见过如此疼爱自己孩子的人们,……抱着、背着……手里搀着……只要孩子一不在身边就好像无精打采的样子”。这是推行学校教育之前的日本家庭亲子关系的生动写照,民俗学家宫本常一先生说,这里面有我们至今值得反思的地方(《读伊莎贝拉·芭德的〈日本腹地纪行〉》平凡社)。

 彼女は朝鮮や中国へも旅した。そして、100年前の10月7日、英エディンバラで他界した。72歳で、病床でも日露の戦争の行方を気にしていたという。もう一度アジアに行くつもりで、旅行カバンは常に用意されていた(『英国と日本』博文館新社)。

她还曾去过朝鲜以及中国。100年前的10月7日,在英国的爱丁堡郡她离开了人世。据说,72岁临终之时,她躺在病床上也仍然关心着日俄战争的前景。因想再度赴亚洲旅行,她的旅行包总是时刻准备着(《英国和日本》博文馆新社)。

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1)イザベラバード女史について

1831年10月31日、英国ヨークシャーのバラブリッジに生まれる。父エドワード、母ドーラ。23歳(1854年)の時に、医師の薦めで、アメリカ、カナダを訪れる。これを契機に、72歳(1904年)まで、通算30年に亙る世界各地への旅行を行う。女史が旅行した地は、ロッキー山脈、サンドウィッチ島、日本、マレー諸島、カミュールとチベット、ペルシャ、韓国、中国等。明治11年の6月から9月にかけて、47歳(1878年)の時に、東北、北海道を旅行し、この時の記録を1880年10月に「日本奥地紀行」(原題「日本の未踏の土地」)(2巻)として出版する。世界各地の辺地旅行記の出版などの功績が認められ、62歳(1893年)の時に、英国地理学会(ROYALGEOGRPHICAL SOCIETY)の特別会員に選ばれる。

2)宮本常一氏略歴

明治40年8月1日、東和町長崎に生まれる。昭和4年大阪天王寺師範学校卒業後、 

小・中学校教育に専念。昭和9年から柳田国男に師事して民俗学を学び、昭和10年

渋沢敬三に師事。昭和14年アチックミューゼアム研究員として全国各地の民俗調査

に従事。

昭和40年日本観光文化研究所所長。武蔵野美術大学教授、全国離島振興協議会顧

問、昭和36年「日本の離島」でエッセイスト・クラブ賞、「中国風土記」で中国文化賞、昭和52年「宮本常一著作集」で今和次郎賞、昭和56年1月永眠。同年勲三等瑞宝章。昭和61年東和町名誉町民(第1号)の称号を追贈される。


 

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