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日本の各地で産出されてきた木炭が並べられた棚の中から、係の人が、小さな箱を取り出してきた。「日本最古ノ木炭」と書かれている。上ぶたのガラス越しに、細長くて透明な容器が見える。その中には、縦横が1センチほどの黒いかたまりがあった。
管理员从陈列着日本各地出产的木炭的架子上,拿出一个小匣子。上写着“日本最古老的木炭”。透过上面的玻璃盖,可看见一个透明的容器。里面放着长宽约1公分左右的黑疙瘩。
箱を展示している東京・銀座の「全国燃料会館」の言い伝えでは、石器や骨器などとともに、西日本の洞窟(どうくつ)で見つかったものだという。年代は不明だが、この小指の先ほどの墨色のかけらから、人と火と炭との長い付き合いが、しのばれた。
据展出这个匣子的东京·银座的“全国燃料会馆”介绍,这玩意儿是和石器、骨器等一起在日本西部的洞穴里发现的。年代不明,但凭这小拇指尖大的漆黑的一小块,就足以缅怀我们人类与火、与炭的绵长不绝的交情了。
炭は、一時は身の回りから姿を消しかけたが、近年は高級な燃料などとして重用されている。かば焼きや焼き鳥などに使う炭の多くを頼ってきた中国が、輸出の停止を打ち出した。森林開発を制限するためという。仕方のないもので、手に入りにくくなると聞くと、見直したくなる。
木炭曾一时从我们的日常生活中销声匿迹,而最近又作为高级燃料为人所重用。原来用于串烤、烤鸡什么的木炭大多有赖于从中国进口,而如今中国方面已经禁止出口了。据说是为了限制森林的开发。没有办法,今后不容易弄到了。这到勾起了我重新审视木炭的兴趣。
俳人の中村汀女さんに、炭についての随筆があった。火鉢をかたわらに置くと、火の表情が、しきりに気にかかるという。「私は軽い小火鉢が好きだ。細る炭火の柔らかさ、人を案じ、たとえ涙ぐむことがあっても、炭火はそれも受けとめている。/小火鉢を寄せぬ心を寄す如く」
俳句诗人中村汀女女士写过有关木炭的随笔。说是只要身旁一放上火钵,就频频留意火的表情。“我喜欢轻巧的火钵。荧荧炭火温柔,会关心体贴人,即使有令人含的事,炭火也能为人分忧。/???????”。
漆黒の炭が、赤く燃え上がり、やがて白い灰となってくずれる。ガスや石油を使った時には見られないような、火と時間との織りなす物語を、炭の世界では見ることができる。そして、火のかたわらにいる人たちに、遠い時や、遠くの自然というものを感じさせる不思議な力がある。
漆黑的木炭,红彤彤地燃烧,一会儿又变成白色的灰烬散开架来。这是在木炭的世界里能看到,而在使用煤气、石油时看不到的火与时间所编织成的情节。并且,有一种能让身处火周围的人们感受到遥远的时间、遥远的自然的不可思议的力量。
炭の香に待つことしばしありにけり(日野草城)
袭人炭香里,常有我所待(日野草城)。
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1)中村汀女(なかむら ていじょ)
女流俳人の第一人者であった中村汀女は、明治33年(1900)熊本市の江津湖のほとりに生まれました。県立第一高女(現第一高校)卒業、その18歳の暮れに詠んだ「吾に返り見直す隅に寒菊紅し」の句が認められて俳句を始めました。
その後結婚、子育てのため句作を中断しますが、再開して「ホトトギス」同人となり、戦後「風花」を創刊主宰。家庭的な日常の中に、深い叙情性をおびた句を詠み、多くの家庭婦人を俳句に親しませました。
2)日野草城(ひの・そうじょう)
〔本名、克修〕1901(明治34)・7・18~1956(昭和31)・1・29(55歳)東京生れ。会社員。清新、才知の句風をもって大正中期から昭和前期の俳壇で活躍。京大三高俳句会を結成しモダニズムの新風を興す。句誌「青玄」創設。『草城句集(花氷)』『青芝』『人生の午後』、著書『新航路』『展望車』。