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2004年9月24日の「天声人語」

作者:jianxion…  来源:贯通论坛   更新:2004-10-12 20:20:00  点击:  切换到繁體中文

 

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新そば打ち始めました――。まだ昼までは少しあったが、張り紙につられて、のれんをくぐった。すいていた小上がりに座る。

新荞麦面打上啦——。虽然还没到中午,但经不住招贴广告的诱惑,还是钻帘走进店铺,在空荡荡的店堂里坐了下来。

 北海道産の粉で打ったという。どこか青畳のかぐわしさにも通じるような、かすかな香りを味わう。香りだけではなく、そばは、畳との相性がいい。ソファに身を沈めていては、たぐりにくい。小上がりの畳は、そう新しくはなかった。しかし、手のひらで軽く押すと、どこにでも畳敷きがあった頃の懐かしい感じがよみがえった。

说是用北海道出产的面粉打的。散发着和新塌塌米一样的,淡淡的清香。也不仅仅在香味方面,荞麦面与塌塌米非常协调。这是将身窝在沙发里难以感受到的。店堂里的塌塌米已不太新了。然而随手轻抚,都会唤醒对往昔生活在塌塌米世界里时的留恋。

 50年前、日本の建築を視察したドイツ出身の建築家グロピウスが、感想を残している。「タタミというものが尺度になって人体的な関係を保ちながらよく調和したものを生み出している……日本人はタタミの上に座ることからイスも、ベッドも必要ではなく」と、畳の生活の簡素な美しさをたたえた。

50年前,来日视察日本建筑的德籍建筑家格洛比乌斯,留下了他的感想。他说“塌塌米已成为一种基准,在保持着与人体的对应关系的同时,派生出一种特别协调的东西……日本人坐在塌塌米上,根本不需要椅子和床”,盛赞塌塌米上生活的简约之美。

 

グロピウスは、芸術と技術の統合を目指した造形学校バウハウスの初代校長を務めた。日本では多くの人から「タタミ廃止論」を聞いたという。「私は伝統とのつながりを忘れて、いきなり新しいものに飛び付いてゆくことは危険だと思う」と述べている。

格洛比乌斯曾任旨在艺术与技术融为一体的造型艺术学校包豪斯的首任校长。他在日本曾听许多人讲起,要“废除塌塌米”。他说,“我认为抛弃了传统的传承,一头扑向新事物,那是很危险的”。

 鉄筋の団地という新しいものに出会った日本人の悲喜劇を描いた古い映画で、確か加東大介だったと思うが、やけぎみに言うシーンがあった。「大体、家庭ってのは、家に庭と書くんだ」。家庭から庭が失われてゆくにつれ、多くの家から畳も消えていった。

在表现日本人遭遇钢筋住宅这一新生事物时的悲喜剧的老电影中,记得应该是东大介演的吧,有一个说丧气话的场景。“家庭、家庭,就是家加上庭院啊”。可是,随着庭院告别了家庭,塌塌米也从多数家中消失了。

 ワラやイグサで出来た畳は、いわば小さな自然でもあった。それは、家庭の中の、もう一つの庭だったのかもしれない。

用稻草、蔺草做成的塌塌米,说起来还是个小小的自然。或许它曾是家庭内部的另一个庭院。


 

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