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人生の残り時間が少なくなってきた。そう思い始めたとき、人はどうするか。できるだけ豊かに多彩に生きようとするのか。あるいは余計なものを削りつつ、簡素な生き方を志すのか。
当人们开始意识到,人生剩余的时间在逐渐的减少的时候会怎么做呢?是尽可能的让生活过得丰富多彩,还是是立志于消除生活中多余的繁琐细节,过一种简单朴素的生活呢?
「テレビは見ない、電話は嫌い、冠婚葬祭、夜のパーティーはすべて欠席、ワープロ、インターネットとは無縁」。今夏亡くなった作家の中野孝次さんは、余計なものを排除しながら晩年を送った。しかし、容易に捨て去れないものもあった。数々の書物である。
今年夏天逝世的作家中野孝次先生就是,排除一切生活中多余的部分“ 不看电视,不打电话,不出席任何婚葬仪式,不用打印机,不上网。”(在这样的简单生活中)渡过了自己的晚年。但是,(他)也有着无法舍弃的东西,那就是一生珍藏的诸多书籍。
あるとき、愛蔵してきた本を手放す苦渋の決断をした。「別れるべき書物(文学者)の名を一つずつ書いていった」。たとえばドイツ文学者の全集は身内同然で「別れるのは文字通り身を切られるような辛さ」だった(『老いのこみち』文芸春秋)。
有些时候,不得不做出痛苦的决断,放弃自己珍藏的书籍。(他说)尽管如此还是应该将放弃的书籍名(作者)一一的记下来。例如德国的文学家全集,全身都觉得“和它们分开简值就是切肤之痛”(《老人之路》文艺春秋)
捨て去れないものもあった。酒の楽しみである。午後は間食せず、水分も控える。「そうやって体調の下拵えをしながら、日が暮れたときのことを思って、心をおどらせている」。そして「犬たちを傍らにはべらせての独り酒」に至福の時間を過ごした。
另一个无法割舍的就是享受酒的乐趣。“下午不吃午饭,控制喝水, 一边调查好身体的状况,一边想像着到了日暮将至时的情景,心情就变更无比激动”。就这样渡过“ 让旁边的小狗陪伴我自饮自酌”的幸福时光。
残りの時間には、日本、中国や古代ローマの古典の世界に沈潜した。簡素でぜいたくな余生である。そんな生活の中から、いやおうなく見えてきたものがあった。現代社会のゆがみである。「老いの繰り言」とはいわせない数々の警告を残し、彼は逝った。
在剩下的时间里,就沉浸在日本、中国以及古罗马的古典世界里,渡过了一个简朴的晚年。在这样的生活中,也有着偏离现代社会却令人不可置否的东西。他留下无数不能被称呼“老人的唠叨”的告诫离开了我们。
つい先日亡くなった歌人島田修二さんにこんな作品がある。〈余計者になりてしまひし老人の目の鋭さをわがものにせん〉。老いた目の鋭さにも敬意を表すべき敬老の日だ。
先些天逝世的和歌作者岛山修一先生留下了这样的作品“暮年的年老人们敏锐的目光,是我们不可得的” 这应该是向老人敏锐目光表达敬意的“敬老日”。