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電柱に、見慣れない黄色い紙がはってある。先の電柱にも、そのまた先にも黄色い紙が目立つ。資源ごみは区が回収するので持ち去ってはならない、とある。新聞や雑誌の回収日に、先回りして横取りする者がいるのかと思いながら通りすぎたのは三月ほど前だった。
电线杆上贴着些看着眼生的黄纸。前面的电线杆上、再前面的电线杆上,黄色的纸片特别扎眼。上写着,资源性垃圾由区回收,不得随便拿走。这是我三个月之前路过时看到的,当时心想,难道有人抢在报纸啦杂志的回收日之前掠去了不成?
横取りは相当広く行われているようだ。東京の古紙問屋団体が試算すると、関東1都6県だけで、昨年度の被害額は最大で約20億円になった。中国などへの輸出増で値上がりしているらしい。
事实上抢先掠夺的事还真不少。根据东京旧纸批发团体的推算,仅关东1都6县,去年受损额最多高达月20亿日元。似乎价格也因向中国等地的出口量增加而上涨了。
古くから再生利用されてきた新聞紙は、今ではシンブンシと読むのが一般的だが、昔は少し違っていた。作家の石川淳が大正末に教師をしていた高等学校の入試でのことだ。採点する作文の題が「新聞紙」だった。
早就开始再生利用的报纸,现在普遍读作报纸,但在从前却不太一样。说一件作家石川淳在大正末年当老师时,高中入学考试时的事。当时,批阅的作文的题目就是《报纸》。
読んでいて、中身がくっきりと二つに分かれているのに気づく。一つは「新聞紙」の社会的性質や文化的使命を論じ、片方は「シンブンガミ」として原料、製法を記していた。
可读着读着就发现其内容截然分为两个方面。一方面说的是“报纸”的社会性以及文化使命,另一方面却记述着“报纸(报章用纸)”的原料、造纸方法。
さらに分かったことは、前者は例外なく文科志望、後者は理科で、シンブンガミの方に、石川は「文学を感じた」(『文学大概』小学館)。長じて著名な評論家となる文科の受験生が、後にこの文を読んで「ギョッとした」と記している(『花田清輝全集』講談社)。
接下来进一步了解到前者无一例外都是报考文科的,后者是报考理科的,而石川在“报纸(报章用纸)”的方面“感受到了文学”(《文学大概》小学馆)。一位后来成长为著名评论家的文科考生写道,日后读到石川的那篇文章时“大吃了一惊”(《花田清辉全集合》讲谈社)。
紙が貴重だった江戸期の『紙漉重宝(かみすきてうほう)記(き)』に、こんな一節がある。「おろそかに紙つかふべからす……ほしたる紙壱枚 風にて谷へふきちりしを とりに行にも一時斗(ばか)りかゝる。竹をわり、ちりたる紙をはさみ持ちかへる」。回収も、横取り対策もまた、おろそかにはできない。
在纸张还很金贵的江户时代,有一本名为《紙漉重宝記》书,其中记有这么一段。“不得随便用纸……一张晾着的纸被风吹落山谷,要取回也稍稍费时。剖竹将吹散的纸夹起拾回”。如今,回收也好,针对抢先掠夺的对策也好都不得随便草率。