明治時代に、文章の言葉遣いを話し言葉に一致させる言文一致の運動が起きた。中心に居た一人で「浮雲」などを著した二葉亭四迷が、「余が言文一致の由来」を記している。
明治时期兴起了一场将文言文和口语统一的言文一致的运动。其中心人物二叶亭四迷在《浮云》中,记载了言文一致的由来。
「何か一つ書いて見たいとは思つたが、元来の文章下手で皆目方角が分らぬ。そこで、坪内先生の許(ところ)へ行つて、何(ど)うしたらよからうかと話して見ると、君は円朝(ゑんてう)の落語(はなし)を知つてゐやう、あの円朝(ゑんてう)の落語(はなし)通りに書いて見たら何(ど)うかといふ」。仕上げた作を見た坪内逍遥は「忽(たちま)ち礑(はた)と膝を打つて、これでいゝ、この儘でいゝ、生(なま)じツか直したりなんぞせぬ方がいゝ」(『明治文学全集』筑摩書房)。
书中记载到:想试着写一篇文章,但是因为原本写文章的能力就很差,不知道从哪里着手。为此,我去请教坪内先生想和他商量一下怎么办好,他说你知道元朝的单口相声吧!就像讲单口相声那样写写看吧!坪内逍遥看了我的作品猛地一拍大腿,”就这样不错,就这样不用修改就好了”
幕末から明治期に活躍した三遊亭円朝は「落語中興の祖」「近代落語の祖」と呼ばれる。人情話に長じ、「牡丹灯籠(ぼたんどうろう)」など自作の怪談ものでも知られた。「今日(こんにち)より怪談のお話を申上げまするが、怪談ばなしと申すは近来大きに廃(すた)りまして、余り寄席(せき)で致す者もございません」。「真景累ケ(しんけいかさねが)淵(ふち)」の枕だ。
从幕府末期到明治时期一直很活跃的三游亭元朝被称为 “单口相声的鼻祖”,“近代单口相声的祖先”。他以擅长爱情故事而著名,像《牡丹灯笼》等自己创作的怪谈众所周知。“怪谈也只是过去了,现在渐渐的被冷落了,去听的人也不是很多。”
1900年、明治33年に他界したが、昨11日が命日だった。墓のある東京・谷中の全生庵(ぜんしょうあん)では「円朝まつり」が催されており、8日には、法要などがあった。落語家らの模擬店が境内に並び、浴衣姿の若い人たちや家族連れでにぎわっていた。
上一个11日是1900年(也就是明治33年)辞世的三游亭元朝的忌日。在他的陵墓所在地东京谷中的全生庵举行了元朝祭奠活动。8日还举行了法事。那里有许多单口相声演员的模仿店,还有穿着(浴衣)的年轻人们带着家人一同来参加,非常的热闹。
円朝は幽霊の絵を集めていたという。幽霊画数十点が、本堂脇に展示されている。生首を持つ幽霊などに混じって、足のある幽霊も居て、エアコンの冷気とともに、おかしみも漂っていた。
有人说元朝收集了幽灵的画像。其中有十幅在本堂肋进行了展览。有拿着自己头的幽灵,还有有脚的幽灵,伴随着空调的冷气,似乎整个屋子都漂浮着诡异的气氛。
眼を閉て聞き定めけり露の音(『三遊亭円朝』青蛙房)。これが辞世で、享年62だった。
闭着眼睛聆听露珠的声音,这就是已经故去的享年62岁的三游亭元朝。