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2004年8月06日の「天声人語」

作者:鱼鱼  来源:贯通论坛   更新:2004-8-15 8:12:00  点击:  切换到繁體中文

 

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「私は逃げたのです。瀕死(ひんし)の重傷を負った学友を救おうともせず、卑怯にも逃げてしまったのです……」。映画監督の黒木和雄さんは、新刊の『私の戦争』(岩波ジュニア新書)で、45年に学徒動員先で空襲に遭った時のことを書いている。

“我逃跑了。不但没有救已经身负重伤、濒临死亡的学友,还胆怯的逃跑了……”电影导演黑木和雄在新刊的《自我斗争》(岩波少年读物)上记述了45年前在学生动员的地方遭遇空袭时的情景。

 米軍機に爆撃され、一緒にいた10人は、ほとんど即死状態だった。なぜ自分だけが生き残ったのか。戦後もこの問いをひきずってきた黒木さんは、10年前に、井上ひさしさんの芝居「父と暮せば」を見た。

遭遇美军飞机的强烈轰炸,不过是一瞬间,10人几乎都处于即将死亡的边缘。为什么单单自己幸存下来了?战后也一直没有想过这个问题的黑木先生,于10年前看过井上先生的“如果和父亲一起生活”的戏剧。

 原爆投下から3年後の広島で、生き残ったことに負い目を抱き、幸せになるのを拒もうとする娘がいる。親友を失い、建物の下敷きになった父を見捨てて逃げたことを悔いるヒロイン美津江の姿が自分と重なった。

在广岛,距原子弹爆炸的3年后,有一个女孩由于自己的幸存而感到内疚,因而拒绝幸福。为失去所有亲人和扔下被压在建筑物下面的父亲而独自逃掉而后悔的美津江小姐的状况是自己的写照。

 映画「父と暮せば」は、「TOMORROW/明日」「美しい夏キリシマ」に続く黒木さんの「戦争レクイエム」の3作目だ。東京、長崎と共に先行上映されている広島で、映画を見た。広島弁が、耳に新鮮だ。周りに座っている人たちも、この言葉と共に暮らしてきたのか。

电影“如果和父亲一起生活”是“明天”和“美丽的夏天”之后黑木先生创作的第三部“战争安灵曲”。在比东京和长崎先行上映的广岛看了这部电影。广岛的演讲让人耳目一新,周围座着的人们也是伴随着这句话一起生活着的吗?

 ここ広島や長崎に限らず、生き残ったことを背負って生きてきた人は多いだろうと思った。生き残ったというより、生き残された、生き残らされた、との思いもあるかもしれない。

不仅仅是广岛和长崎,我想在这个世界上生活着的很多人都说背负着幸存的内疚。与其说是幸存,也许还有(因为各种原因)不得不苟且偷生的想法。

 ややひょうきんな幽霊となって現れる父、竹造(原田芳雄)が美津江(宮沢りえ)に言う。「わしの分まで生きてちょんだいよォー」。それは、「あの日」を伝えてゆくことかと思い至った娘がつぶやく。「おとったん、ありがとありました」。監督自身のつぶやきとも聞こえた。

想到曾以稍稍幽默的幽灵出现的父亲,竹造(原田芳雄)对美津江说“要好好的活下去, 权当是把我们那部分生命延续下去哦那是父亲于‘某天’说给她听的,美津江嘟囔着说。导演也听到自己由衷的说“实在是非常感谢!”


 

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