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2007年11月05日「天声人语」中日对照

作者:阿晓  来源:贯通论坛   更新:2007-11-16 8:23:21  点击:  切换到繁體中文

 

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小春とは旧暦の10月、ちょうど今ごろからのことだ。その穏やかな日が小春日和。〈たましひといふ大荷物日向(ひなた)ぼこ〉(千葉皓史)の句を思い起こす

小阳春是指阴历10月份,正好是从现在这时节开始。太阳暖洋洋,有个词叫“10月小阳春”。这令我想起千叶皓史的一句诗:“背负灵魂大包袱,寻个暖处晒太阳”。

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」は徳川家康だ。その言わんとした重荷も、実は「魂」だったかも知れない。愛憎あり、恥辱あり、不平不満あり。近ごろは心的外傷や、ストレス障害……。日だまりに魂をさらせば、来し方の大小の傷に、秋の陽(ひ)がしみわたる心地がする

“人生如背负重物走远程”,这是德川家康的话。这里他说的重物,其实也许是“灵魂”。灵魂有爱憎、有耻辱、有不平不满。最近又有心灵外伤、精神障碍之类的……。如果能把灵魂晒在太阳下,那感觉就如同秋日的阳光渗透进以往的大小伤痕里。

この人の魂に深い傷はあっただろうか。そう思いながら、ポールティベッツ氏の訃報(ふほう)を読んだ。広島に原爆を投下したB29爆撃機「エノラゲイ」の機長だった。92歳というから、天寿まっとうであろう

他的灵魂有过很深的伤痕吗?我一边这样想着一边看保罗·蒂贝茨的讣闻。他就是向广岛投下原子弹的B29轰炸机“Enola Gay”号的机长,因为活到92岁,也算是享尽天年了吧。

戦後、空軍の准将にまで昇進した。投下の正当性を疑うことはなく、「眠れぬ夜などない」と語っていた。自著のサイン会で「初の原爆投下」と書いたTシャツを売って、在米被爆者の怒りを買ったこともある

战后他官升至空军准将。他不怀疑空投的正当性,他说“我没有为此睡不着觉的夜晚”。在他的自著书签字会上,他将写有“第一个空投原子弹”字样的衬衫卖掉,惹怒了在美国的原子弹受害者。

だが、異なる顔がなくもなかった。広島平和記念資料館の元館長、高橋昭博さん(76)に会ったとき、被爆で変形した高橋さんの右手を、約30分の対面中、ずっと握って離さなかった。「自分が正しいのかどうかもわからない」と迷う言葉も残している。「心の痛みはあったと思いたい」と高橋さんは言う

然而,他也有过不同的表现。在他同广岛和平纪念资料馆原馆长高桥昭博(76岁)相见时,在约30分钟的会谈中,他一直握着被原子弹炸伤变形的高桥右手而不松开。“我不知道我是否是对的”他也留下了这句迷惑的话。高桥说:“但愿他心里有过痛苦”。

生涯おろせない「大荷物」が、元機長をかたくなにさせたのかもしれない。広島が負った深い傷に、はたして、どれほどの思いを寄せていたのだろう。遺灰を海にまいて欲しい。それが遺言だったそうだ。

也许是终生没有放下的“大包袱”让老机长变得如此顽固。广岛所受到深深伤害,他究竟寄予了多少关心呢?希望把骨灰撒进大海,据说这是他的遗言。

 


 

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