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2007年10月28日「天声人语」中日对照

作者:eva_0323  来源:贯通论坛   更新:2007-11-15 8:51:47  点击:  切换到繁體中文

 

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外食がとびきりのぜいたくだった時代、日本人の栄養と食欲はもっぱら台所が引き受けた。半世紀が流れ、「食悦」に震えるツボは胃から舌に移ったかに見える。それでも家での食事は、乱れた生活のリズムを正してくれる

在“外出就餐”被视为奢侈品的年代,日本人的营养和食欲,全都由厨房一手所承包。半世纪后,“食之喜悦”的方位,似乎从胃部转移到了舌部。即便如此,通过在家的饮食,也是能帮助人们转换平时已打乱的生活节奏的。

NHKの「きょうの料理」が放送開始から50年になる。初回は1957(昭和32)年11月4日だった。最初の料理「かきのカレーライス」の材料表記は6人分。当時の食卓が浮かんでくる

NHK的节目“今天的料理”,从开播至今已快50年了。首播是在1957年(昭和32年)的114日。第一次所讲的料理是材料为6人份的“牡蛎咖喱饭”。不禁想起当时镜头中的那张餐桌。

4人に1人が栄養不足とされた初期の放送には、レバーや鯨など、安くて滋養豊かな素材が使われた。江上トミ、土井勝、村上信夫ら、戦後の「食育」を担った面々が、生放送で名調子を競ったものだ

播送的初阶段,正处于每4人中就有1人营养不足的时期,所以使用的基本上是肝脏呀鲸鱼之类的便宜但营养丰富的材料。江上TOMI、土井勝、村上信夫等人,承担着战后“饮食教育”的方方面面,在直播现场,相互展示着他们的铁嘴口才。

昭和30年代。豊かではなかったけれど、都市も農村も、これから豊かになるんだという予感と熱に満ちていた。料理番組は、家計に優しい今夜のおかずを提案しながら、時には、いつかは手が届くであろう「一流の技」を紹介した

昭和的30年代,虽然尚不富裕,但无论是城市还是农家,都充满了不久便会富足起来的自信感和热情劲。料理节目中,常会介绍经济型的晚餐,时不时的,也会介绍一些总有一天会用上的“一流的厨技”。

ほどなく帝国ホテル料理長となった村上は、画面でテリーヌを焼きながら「もう皆さんは、ひき肉料理のベテランと伍(ご)しても絶対に負けません」と、まん丸な笑顔で主婦を励ました。テレビがまいた種が、家庭の味という無数の実を結び、親から子へと受け継がれてゆく。リレーはまだ続いているだろうか

不久,村上成了帝国饭店的厨师长。画面中的他,边烹制着沙锅,边满脸微笑地鼓励着主妇们:“现在的话,大家即便归入到那些肉末料理家的队伍中,也不会输给他们。”电视所播下的种子,孕育出了无数‘家庭之味’的果实,由父母授于孩子,代代相传。这个接力现在还正继续着吧?

番組のテーマ曲は、25歳の冨田勲氏が前日に頼まれ、一晩で仕上げた。転がるようなマリンバの旋律は、まな板で弾む包丁を連想させて楽しい。まな板と包丁のない家など想像もできない昔の、味わい深い絶品である。

节目的主题曲,是由当时25岁的富田勲所创作的,在开播的前天晚上受托,第二天他便完成了作品。欢快跳跃着的木琴声,让人连想起砧板上嗒嗒作响的菜刀,心情倍感愉快。在过去看来,无法想像一个家庭中没有砧板和菜刀会是怎样,这个作品,绝对可以称得上是当的时的经典之作了。

 

まな板と包丁のない家など想像もできない昔の、味わい深い絶品である。最后一句,感觉搞脑子了点。应该是指过去的人,无法想像一个家庭中没有砧板和菜刀会是怎么样吧?

 


 

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