论坛讨论地址:
http://www.kantsuu.com/bbs/dispbbs.asp?boardID=121&ID=149671&page=2
ツクツクボウシが季節を結ぶ独唱を終えつつある。ここ数日で、虫の声は樹上から草むらに移った。動いたのは自然の音源だけではない。取材のざわめきもまた、首相官邸や国会から自民党本部へと所を変えた。
象征夏末秋初的知了的独唱鸣叫声在渐渐减弱。近几天来,蚊虫的鸣叫声由树上转向了草丛里。而转移了的不仅仅是大自然的声源,那各类记者采访的嘈杂喧嚣声,也由首相官邸和国会转移至了自民党本部。
自民党の総裁選が告示された。優位とされる福田康夫氏は戦後13人目の首相の長男、麻生太郎氏は同3人目の孫だ。「8人目の孫」が職を投げ出した後は、子と孫の争いらしい。政治の世襲化を煮詰めたような光景に、つい嘆息する。
举行自民党总裁选举的决定已告示天下。在形势上占优势的福田康夫是日本第二次世界大战后第13届首相的长子,而麻生是日本战后第3届首相的外孙。看上去,那个“战后第8届首相的外孙”临阵脱逃放弃理政后,便呈现出这“儿”“孙”相争的场面。笔者不禁为这象征着日本政界多年的世袭化景象而悲叹。
40歳まで会社員だった福田氏は、首相になった父上の秘書官として政界に入った。後継ぎで衆院選に出た時は「独立した一人の人間として見てほしい」と父離れを強調した。「あんな年寄りと比べないでよ」は初登院の弁だ。
福田在40岁之前一直是公司职员,那之后作为父亲的秘书进入政界。在子承父业参加众议院选举时,福田曾强调说“希望大家把我看作一个独立的人”,以此表示脱离了父亲的庇护。而他在第一次出席众议院议会时是这样说的“别拿我和那老人比呀”。
逆に「祖父は私の原点」と、近さを糧にしてきたのが麻生氏。22歳で米国に留学し、母親に車をねだった。「危ないから」と拒まれ、大磯に手紙を出す。吉田茂はたちまち説得してくれた。「孫にいい顔する祖父をかわいいと思った」と自著にある。
麻生却与福田正相反,他常说“外祖父是我人生的基点”,以强调祖孙关系的亲近作为精神食粮。麻生22岁去美国留学时,曾恳求母亲给他买车。在遭到母亲以“太危险”为由拒绝后,麻生便给住在大矶的外祖父写信求情。随后吉田茂马上就为麻生说服了自己的女儿。麻生在自己的著书中写道“我觉得取悦外孙的外祖父很可爱。”
血筋との距離のとり方は各様だ。親の仕事や地位は選べない。政治の家に生まれても、向き不向きがあろう。地盤だ看板だと担がれ、祭られ、重圧につぶれる人もいる。首相であれば国民の不幸だ。お二人が並の七光りでないことを願う。
每个人把握与血统门第的距离感各有不同。出生之际对父母的工作以及社会地位是无法选择的。降生在政治家的家庭里,势必也会有适应与不适应之分别。有些人只因拥有竞选根据地或因为可充当竞选招牌,便被推举出来,好似赶鸭上架,最终因不堪重压败下阵来。这样的人出任首相,当是全体国民之不幸。惟望福田麻生二位不仅只沾家门之光。
虫なら、木で鳴くか草で鳴くのかは血が決める。ほかも選べただろうに、父や祖父と同じ木、同じ草で、まさに鳴かんとする両人。どちらの声になるにせよ、「有権者の血」しか引かない大多数の耳に届けばよいが。
若是蚊虫,它的血脉决定它是叫在树上还是鸣於草丛间。按说还应有其他的路可走,他们却偏偏选择了与父亲或外祖父同木而栖、同草而鸣的路。不论此后的鸣叫声出自二者谁人之口,只盼望那声音能够传至仅仅继承“选民血脉”的大多数国民的耳朵里。