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『土佐日記』の紀貫之(きの・つらゆき)は冒頭から女性になりきり、カナで書き進む。「男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり」。女装の文章は、男は漢文という表現の掟(おきて)をすり抜け、女流文芸の隆盛に一役買った。高い垣根が男女を隔てていた時代の奇手である。
《土佐日记》的作者纪贯之在文章的开头就进入女性角色,用假名书写。“让我以假名(女人文字)来写日记这个男人干的事情吧”。男扮女装的文章,在男人写汉文这个成规的夹缝里,为女性文学的兴旺发达起到了一定的作用。他是男女之间存在一座高墙时代的奇才。
千余年を経て、垣根は消えつつある。女装も男装もすることなく、大抵のことは「男女がすなる」だ。女の子の柔道や剣道、男の子が踊る姿は当たり前になった。
1000多年过去了,高墙在消失。不用再男扮女装或女扮男装,一般的事情“男女都可做”。女子的柔道或剑道,男子跳舞已无可非议了。
中学校の体育で武道とダンスが男女とも必修になるという。学習指導要領の見直しが固まり、早ければ11年度から2年生まで全員が両方を習うことになる。武道の重視は、改正教育基本法の「伝統と文化の尊重」を受けたものだ。
听说中学体育课武道和舞蹈要成为男女的必修课目。对学习指导要领修改定稿后,如果快的话,2011年开始初一初二学生就都要学习这两个科目了。对武道的重视,是接受了改正教育基本法“尊重传统和文化”的思想。
日本武道館が先ごろ編んだ『日本の武道』の中で、早大教授の菅野純さん(臨床心理学)が「武道の教育力」を並べている。偽りのない自分に出会う、相手や場の空気を読む力がつく、けじめや節度を覚える……。確かに、武道は礼節の教科書には違いない。
在日本武道馆最近编写的《日本武道》一书中,早稻田大学菅野纯(临床心理学)教授将“武道的教育力量”罗列出来。如:能发现真实的自我,掌握理解对方和处境的能力,能掌握分寸和尺度……。的确,武道一定是礼节的教科书。
だが、暗い過去もある。戦中の武道教育は「攻撃精神」「必勝の信念」「没我献身」などの言葉で語られた。『日本の武道』は「本来の学校武道の良さが見失われてしまったことは極めて憂慮すべきことであった」と悔やむ。
然而,它有过黑暗的历史。战争时期的武道教育用一些“攻击精神”“必胜的信念”“忘我献身”等词汇。《日本武道》反省到:“忽视了真正的学校武道的好处,这才是我们极该忧虑的事情”。
ことさら国家や精神性と結びつけるのは、武道にも不幸だ。国の号令で習わせて礼節や公徳心が身につくものでもない。多くの「道」から選び取られてこそ、武道も輝きを増す。男女が何にでも挑戦できる時代に、必修は似合わない。
特意让武道同国家和精神性联系在一起,也是武道的不幸。它也不是靠国家号令学习掌握礼节和培养公德心的东西。只有能从众多的“道”中选择,武道也才会增色。在男女可挑战所有事情的时代,必修不合时宜。