论坛讨论地址: http://www.kantsuu.com/bbs/dispbbs.asp?boardID=121&ID=60762&page=2 光源氏が言う。「乱りがはしき事の、さすがに目さめてかどかどしきぞかし」。鞠(まり)を蹴(け)り上げて遊ぶ、蹴鞠のことだ。「無作法な遊戯だが、でもぱつとして気がきいてゐるよ」と述べている(『源氏物語』日本古典全書)。 光源氏说:“胡乱地弹起,就像是刚睁开眼,及其生硬。”将球踢起来玩,就是蹴鞠。书中说“虽然是粗鲁的游戏,但作为处罚还是很喜欢的”。(《源氏物语》日本古典全书) 「遊びわざは 小弓。碁。さまあしけれど、鞠もをかし」。かっこうの悪いものだが、蹴鞠もおもしろいと書いたのは清少納言だ(『新版 枕草子』角川文庫)。時に不作法があり、パッとして面白いところは現代のサッカーに通じている。 “会玩的,有小弓、围棋,也会蹴鞠、虽然姿势不好看”。虽然样子不太好看,但蹴鞠也很有意思,说这话的是清少纳言(『新版 枕草子』角川文库出版)。蹴鞠有时有些粗鲁,其『啪』的一脚时的趣味和现代足球相通。 4年に一度のサッカーの祭典ワールドカップが開幕——。一つの球に突進しゴールをめざす。手を使わないという制約が多彩な体の動きやさばきを生み、やがてボールがネットをゆらす。胸のすくプレーから、新しい伝説が生まれることだろう。 四年一度的足球盛典世界杯开幕——。围着一个球向球门进攻,不能用手的限制反而产生了多彩多姿的身体运动及巧妙的控球技术、马上球就要碰到网了。从这种开心的比赛中,会产生新的传说吧。 試合そのものの他にも、ドイツ大会の楽しみはある。12の開催都市の幾つかが、日本にもなじみのある文学や歴史の舞台になっているからだ。 除了比赛本身之外,也有德国盛会的乐趣。因为12个举办城市中的好几个,都曾是连日本都熟知的文学及历史的舞台。 例えば開幕試合の舞台を、トーマス・マンはこう記した。「ミュンヘンは輝いていた……そのひろやかな、明るい、緑で囲まれた、よく整った遠景は、美しい六月はじめのひるもやの中に横たわってゐる」(『改訳 トオマス・マン短篇集』岩波文庫)。 比如说开幕式比赛的舞台,托马斯·曼这样描述:“新慕尼黑在散发光芒……被广阔的、明亮的绿色包围,整齐的远景横亘于六月初美丽的雾霭中。 ゲーテを生んだフランクフルト、戦犯裁判の舞台ニュルンベルク、そしてベルリン。20世紀に2度までも世界大戦を戦い、分断され、ようやく統一された国の地名には、独特の重みがある。時には、それぞれの都市の肖像を思い描きながら、「美しい六月」からの祭典を楽しみたい。 诞生了歌德的法兰克福、二战战犯审判舞台的纽伦堡,还有柏林。20世纪经历2次世界大战、被分割、终又统一的国家,其地名中有独特的沉重。有时会在心里想象各个城市的面貌,同时也享受这『美丽六月』开始的盛典。 |
2006年06月10日の「天声人語」
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