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2006年03月30日の「天声人語」

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——その小さな体で生命が危険な状態にあることを訴え続けていたのに——。4歳の男児ののどに割りばし片が刺さっているのを見逃し死亡させたとして起訴された医師の判決公判で、東京地裁の川口政明裁判長は異例の「付言(ふげん)」を述べた。

                

——那个小身体曾时刻不停地提示着生命的危险状况,可还是——。在对未能检查出刺在4岁小男孩喉咙里的一次性筷子碎片而被起诉的医生的公审时,东京地方法院的川口政明法官作了异乎寻常的“附言”。

 判決は、医師の過失を認める一方で、業務上過失致死については無罪とした。「付言」では、遺族の深い悲しみに触れながら事故の教訓を述べる。

该判决在认定医生的过失的同时,认为事属业务过失至死因而无罪。而“附加说明”里,提到了遗族那沉痛的悲伤,并叙述了该事故的教训。

 「患者が発するサインを見逃さないことをはじめ、真実の病態を発見する上で必要な情報の取得に努め、専門性にとらわれることなく、患者に適切な治療を受ける機会を提供することが求められている」

“要求医生努力获取诸如不错过患者所发出的信号等方面的确诊所必需的信息,不拘泥于自己的专业,给患者提供恰当的治疗机会”。

 死亡した杉野隼三(しゅんぞう)ちゃんの母で高校教諭の文栄さんは「死を無駄にしたくない」と手記を書いた。病院の対応に傷つくが、周りの人々のあたたかさに触れて、隼三ちゃんのふたりの兄を育てながら立ち直ろうとする姿が描かれている。

死去的小朋友杉野隼三的母亲文荣女士是一所高中的教师,她在手记中写道:“我不想让孩子就这么毫无意义地死去”。手记中写到了医院的处置所造成的心灵创伤,也提到了周围的人们所给予的温暖,给人一种要在抚育隼三的两个哥哥的同时重新制作起来的女性形象。

 小学生の兄を前に「人はみんな誰でも一人では生きていけないから……」とみんなで歌った同級生。文栄さんのかつての教え子は鉄道模型を持ってきて兄と遊んでくれた。「(にく)しみと怨念(おんねん)の人生を送ってはいけない……ふたりのお子さんを立派に育てなさい」と何度も励ます人もいた。(『「割り箸が脳に刺さったわが子」と「大病院の態度」』小学館文庫)。

隼三的小学生哥哥的同学们,在他面前唱起了歌:“人们谁都不是靠一个人能够生活下去的……”。文荣女士以前教过的学生带着火车模型来和隼三的哥哥一起玩。也有人反复给她于鼓励,“人不能生活在怨恨之中,要好好地将两个儿子抚养成人”。(《“我那被一次性筷子扎入脑子的孩子”和“大医院的态度”》小学馆文库)。

 「付言」には、事故を二度と繰り返さないために、この教訓を(かて)とすることが隼三ちゃんへの供養となり、鎮魂(ちんこん)となると記されている。その文面を目で追いながら、裁判官の「肉声」を聞く思いがした。

“附言”中写道,要将为防止事故重演而引以为戒的作法当作给隼三的祭品,以慰亡灵。再我目光再追字逐句之时,耳变似乎响起了法官亲诵的声音。


 

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