论坛讨论地址: http://www.kantsuu.com/bbs/dispbbs.asp?boardID=121&ID=53610&page=1 「子供のころ、男の子のくせに、端午(たんご)の節句よりも、桃の節句の方が好きだった」。母が嫁入りの時に持ってきた雛(ひな)人形は「長い年月の埃(ほこり)と黴(かび)の匂いがした。——私は、それが好きだったのかもしれない」。自著『昭和恋々 パートII』(清流出版)にこう書いた演出家で作家の久世光彦さんが70歳で亡くなった。 “小时候,我虽然是男孩,但我喜欢女儿节胜过端午节”。母亲出嫁带来的偶人娃娃“有一种长年尘封的发霉味道。———也许我正是喜欢那样的东西”。在自著《留恋昭和第2部》中如此写道的导演兼作家久世光彦先生逝世了,享年70岁。
テレビドラマ「寺内貫太郎一家」に出演した小林亜星さんは、心のひだの裏側を理屈でなく分かる人だったと惜しんだ。確かに人生の機微を切れのいい文章でつづり、卓抜なテレビドラマにした。描いたものは人々の心のひだであり、時代のひだでもあった。 出演电视剧《寺内貫太郎一家》的小林亚星对久世光彦先生的逝世感到惋惜,他说,久世光彦先生是理解人们内心细微的感觉的人,但他不是靠道理来理解的。的确,久世光彦先生将人生的微妙之处写进明快的文章中,并使之成为了优秀的电视剧。他描写的东西既是人们内心的细微之处,也是时代的细微之处。
改めて幾つかの著書を開くと、そのひだの数々が現れる。三輪車、木造校舎、縁側、汽車、番傘、割烹着(かっぽうぎ)……。時とともに身の回りから消えていったものが巧みな筆でよみがえる。 重新翻开他的几本著作,发现有好多细微的东西。三轮车、木造校舍、套廊、火车、油纸雨伞、烹饪罩衫……。在他巧妙的笔下这些随着时间的流逝而从身边消失的东西都复活了。
「冬の朝、布団の中で目を覚ますと、いろんな匂いがしたものだ。台所から廊下伝いに漂ってくる味噌汁の匂い、うっすらと垣根の山茶花(さざんか)の香り、その中に交じって焚火(たきび)の煙の匂いもあった」。写真と文を組み合わせた「焚火」の一節だ。 “冬日的早晨,在被卧里一睁开眼睛,可闻到各种味道:厨房透过走廊飘来的豆瓣酱汤味,墙根山茶花隐约的花香,还有夹杂其中的炉火的烟味”。这是图文并茂的《炉火》中的一段。
古物屋の大時計の写真の脇には、こう記されている。「街にしても建物にしても、そして人の一生にしても、すべての物語の主役は——〈歳月〉である」 在下房里的座钟照片旁边,有这样的文字:“无论街道或建筑,乃至人生,一切故事的主角都是‘岁月’”。
いっときも止まらずに流れてゆく年月の中で、記憶にある日々を形にしてとどめ、後の世代に伝えようと力を尽くした。久世さんは、いわば昭和という名の列車にともる後尾灯だった。一筋の光跡を描きながら、その列車が遠ざかってゆく。 在一刻都不停下的流逝的岁月当中,他把记忆中的生活有形化,他竭力想把它留给后世。久世光彦先生便是名曰“昭和”这躺列车闪烁的尾灯,这躺列车流下一道光的痕迹,渐渐远去了。
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2006年03月04日の「天声人語」
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