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「昭和33年4月、東京の都立墨田産院で生まれ、O型かB型の男性はいませんか」。福岡市に住む47歳の男性が懸命に人捜しをしている。生後すぐ産院のミスで自分と入れ替わった相手だ。
“有在昭和33年4月,东京的都立墨田产科医院出生,血型是O型或B型的男性吗?”住在福冈市的47岁男子,在拼命地找人。找的是出生后由于医院的错误和自己对调的人。
両親と弟の4人暮らしだった。8年前、母が入院して初めて血液型が判明した。B型という。父はO型だから自分がA型なのはおかしい。「若いときに浮気したのか」。問いつめて母を泣かせた。
该男子和父母及弟弟4人一起生活。8年前,母亲住院时才第一次知道血型是B型。父亲是O型,而自己是A型感到很奇怪。“是不是年轻的时候风流造成的”逼问得母亲都哭了。
親子で数年間悩んだ末、一緒にDNA鑑定を受けたのは昨春のこと。血のつながりはないと言われた。男性は産院を運営した都を提訴した。先日の判決で、東京地裁は取り違えがあったと認めたが、賠償請求は退けた。
母子痛苦了几年,最终在去年一起做了DNA鉴定。鉴定结果是母子没有血缘关系。该男子向经营该产科医院的东京都提起了诉讼。东京地方法院前天判决如下:承认换错了人,但拒绝赔偿请求。
『ねじれた絆(きずな)』(文春文庫)で取り違え児の苦悩を描いた作家、奥野修司さんによると、同種の事故は昭和30年から50年代に見られたという。「どこも新生児室が満員で、名札や名入りの産着がよく入れ替わった」。幼児期に発覚して、ものごころがつく前に親元へ戻されて決着をみた例が多い。
在《弯曲的纽带》(文春文库出版)中描写被换错儿童的苦恼的作家奥野修司说,同样的事故在昭和30年代到昭和50年代多次出现。“哪儿的新生儿室都是满员,经常出现将插有姓名牌或写有名字的婴儿服穿错。”在幼儿期间发觉错误,在懂事之前回到亲生父母身边而得以圆满解决的实例很多。
墨田産院は17年前に閉鎖されている。閉院時に刊行された『記念誌』には、36年に及ぶ分娩(ぶんべん)記録がある。当時は毎日3人ほどの出産があったが、原告が生まれた年の4月前後だけなぜか記載がない。「カルテ紛失のため」という注記があるが、いかにも不自然に見える。
墨田产科医院在17年前已经被关闭。在医院关闭时发行的《纪念刊》上,载有长达36年的分娩记录。原告出生当时每天有3人左右出生,但原告出生时的那一年4月前后,为何没有记录。《纪念刊》上有“由于病例丢失”的标注,但怎么看都觉得不自然。
運命のむごさを思う。入れ替わった相手はだれか。気づかずに暮らしているのか。実の親は健在か。敗訴してなお原告は親捜しに必死だが、育ててくれた両親は違う。「今さら調べ尽くして幸せになれるのか」と消極的だという。
想到了命运的残酷。对调的另一个人是谁?是否一直没有注意到被换错了?亲生父母还健在吗?败诉的原告拼命在找寻亲生父母,但养父母看法不同。他们消极地说“事到如今尽力调查,会得到幸福吗?”