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2004年11月07日の「天声人語」

作者:jianxion…  来源:贯通论坛   更新:2004-11-13 15:35:00  点击:  切换到繁體中文

 

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オト、マリ、フリツ、アンヌ、ルイ。この欧風の名が、森鴎外の家では於菟、茉莉、不律、杏奴、類となって、子どもたちに付けられた。

奥特、玛莉、弗雷滋、昂奴、路易。这些个西洋味儿的名字,在森鸥外的家里变身为于菟、茉莉、不律、杏奴、类(注:这些汉字在日语中的发音与第一句中的西洋名字相近),派给了自己的孩子们。

 「コドモミナニ」。こんなくだりも見える、鴎外から子らへの絵手紙など、多くの資料がみつかった。次女で随想家の小堀杏奴の遺品だという。

最近发现了很多资料,是一些鸥外给孩子们的带漫画的信件等物,以“致孩子们”这样开头的也有。据说是次女、随感作家小堀杏奴的遗物。

 「父の背中に寄りかかっていると、父の太い首筋に葉巻と雲脂(ふけ)のまじった懐しい匂いがする」。杏奴は『晩年の父』(岩波文庫)に、思い出を記している。「父は私を『アンヌ、アンヌ』と呼んだ。そして愛称の意味もあるのか、アンヌにわざと『コ』を付けて、『アンヌコ、ヌコヌコや』などといってふざけた」

“一靠上父亲的背,就能闻到父亲的粗脖子上那熟悉的雪茄和头皮屑的混合味儿”。杏奴在《父亲的晚年》(岩波书店)中这么记载着她的回忆。“父亲叫我‘杏奴、杏奴’,并且,或许是出于爱称的意思吧,还特意在杏奴后面加上一个‘子’,‘杏奴子’‘杏奴子’的叫着逗我”。

 長女の茉莉は、こう書いた。「父の愛は私に対しても他のきょうだいに対しても、素晴しく、その表現は完全以上であり、殆ど常識の外れたものであった」(『父の帽子』講談社文芸文庫)。鴎外の、どんな場合の顔を思い出しても「不愉快な影がない。浅ましい人間の心が覗(のぞ)いていた事がない」

长女茉莉这么写道,“父亲对我的爱以及对其他姐妹们的爱都极其深厚,并表现得淋漓尽致,几乎是异乎寻常的”(《父亲的帽子》讲谈社文艺文库)。回想起鸥外的脸,不管在何种情况下都“没有不愉快的影子。从不以小人之心来揣度别人”。

 東京都文京区の鴎外の旧居跡は、区立鴎外記念本郷図書館になっている。「鴎外と漱石-書簡からみた明治の二大文豪の交流」展が開かれている(12月15日まで)。鴎外の手製といわれる和綴(わと)じ本があった。雑誌に載った漱石の作品のページを切り取って綴じ、子どもたちに与えたという。

位于东京都文京区的鸥外的旧址,现已成为鸥外纪念本乡图书馆。现正在举办“鸥外与漱石的来往信件所展示的两大文豪交流展”(12月15日止)。其中有据说是鸥外手制的和装书。那是将杂志上所刊载的漱石的作品剪下来,装订后给孩子们看的。

 杏奴の遺品の方には手製の教科書があった。彼女は、鴎外の手を「大きい、骨ばった」と回想している。その手でなしたこまやかな「作品」には、父親・林太郎の思いと願いが込められているようだった。

杏奴的遗物中有手制的教科书。她回想起鸥外的手“很大,骨骼粗壮”。这样一双手所作成的精细的“作品”中似乎也蕴涵着作为父亲·林太郎的心思与愿望。

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一、  森鸥外 (1862~1922)

  

    日本小说家、评论家、翻译家。

    本名森林太郎,号鸥外,别号观潮楼主人、鸥外渔史。1862年7月9日生于日本石见(今岛根县)鹿足郡一藩主侍医家庭。从小受到良好的国学、汉学和兰学(江户时代中期以后由荷兰传入日本的西方学术)教育。1882年毕业于东京第一大学医科学校,曾任陆军军医。1884年赴德国留学,广泛涉猎欧洲古今名著,深受叔本华、哈特曼的唯心主义影响,哈特曼的美学思想成为他后来从事文学创作的理论依据。1888年回国,历任军医学校教官、校长、陆军军医总监、陆军省医务局长等职。晚年担任过帝室博物馆馆长、帝国美术院院长职务。1922年 1月19日逝世。

  森鸥外留学归来,以启蒙家的姿态开始文学活动。他翻译西方著名作家歌德、莱辛、易卜生等人的作品,同时创办《栅草纸》等文学刊物,介绍西方美学理论,开展文艺批评,并致力于戏剧改良、诗歌革新活动,在日本近代文学中产生过较大的影响。1890年发表的处女作《舞女》,连同他的《泡沫记》和《信使》被认为是日本浪漫主义文学的先驱之作。《舞女》的主人公是一个留学德国的日本青年官吏,为了追求个性解放和纯洁的爱情,他曾爱上一个德国穷舞女,但在日本专制官僚制度和封建道德的压力下,终于遗弃了她,酿成爱情悲剧。作品反映了个性解放的要求与社会现实的矛盾,最终却与现实妥协。一般认为它是日本近代文学初期的代表作品。

  1910年前后,森鸥外写了《青年》、《雁》等取材于现代生活的小说。《雁》是作者这一时期创作的艺术成就较高的作品,描写明治年间一个贫苦的少女沦为高利贷主的情妇;她渴望摆脱这种屈辱的境地,暗自爱上一个每天从门前经过的大学生,但由于一个偶然的原因,失去了表白爱情的机会,她追求幸福的努力终于化为泡影。作者怀着同情写出一个普通妇女的不幸,但却把这种不幸归结为偶然性的恶作剧,最后用一只碰巧被飞石击毙的雁来象征她的命运。日本评论家认为,作品的心理刻画细腻,人物、场景描写逼真。

  1910年日本政府制造了所谓“大逆事件”,加强了对思想文化界的专制统治,森鸥外开始转向历史小说的创作。他把自己的历史小说分为“遵照历史”和“脱离历史”两类。前者完全依据史料写作,后者则借助历史

事件的描述来表达作者的理想和信念。第一篇历史小说《兴津弥五右卫门的遗书》,赞美武士殉死行为。但紧接着创作的同一题材的短篇小说《阿部一家》,却客观地抨击了这一封建道德行为。阿部一家由于未被允许为

藩主殉死而受到歧视,终致满门被杀戮,揭示了封建殉死制度的虚伪、腐朽和惨无人道的实质。这两篇倾向不同的作品反映了作者世界观上的矛盾。短篇小说《高濑舟》属于作者所谓“脱离历史”的历史小说。作品写一个犯人在囚船上讲述自己的经历。他的弟弟不堪贫病折磨,自刎未死,他在弟弟的恳求下帮助弟弟结束了生命,因而被判罪流放。他认为囚徒的生活比他原来的境遇还优越,所以处之泰然,这就更加深入地揭示了封建幕府时期社会底层人民的生活惨状。

  作者晚年埋头于史料的考证,也写过几部人物传记,如《涩江抽斋》等。所传人物多为专心学术、不问世事的学者,表现作者晚年企图摆脱世俗的心境。

  森鸥外的作品侧重于体现他的伦理道德观,反映了明治时期上层知识分子思想上的矛盾。早期作品文笔优美,抒情气氛浓郁。后期大多数作品,特别是历史小说,往往采取冷峻客观的笔调。

                           (丘培)

二、「良き父」森鴎外、次女宅で未公開書簡100通など発見

 文豪・森鴎外(1862~1922)が家族にあてた約100通の書簡や、娘のために作った手製の教科書約20点など、鴎外にちなむ大量の資料がまとめて見つかった。次女で随想家の小堀杏奴(あんぬ)(09~98)の遺品で、ほとんどが未公開。カラー複製の書籍として公刊される。単身赴任先の奈良から毎日のようにはがきを送るなど、杏奴らの随想で描かれてきた家庭人としての素顔をじかに確認でき、鴎外の人物像に新たな光を投げかけそうだ。

 杏奴の長男小堀鴎一郎さんらが、杏奴の住んだ家を区画整理で取り壊すのを機会に、数年かけて遺品を整理したなかにあった。

 公開されるのは書簡や教科書、鴎外の添削が入った和歌など。学校の先生への連絡を記した通知表も残されていた。杏奴の随想「晩年の父」(36年)に「奈良から貰(もら)った手紙、絵葉書(えはがき)の類を多少持っている」とあり、大切に保管していたらしい。

 他に、鴎外死後の家族間の書簡や、永井荷風ら鴎外ゆかりの文人たちから杏奴へあてた250通以上の書簡も含まれている。

 鴎外の書簡の多くは晩年の18年から22年に集中している。帝室博物館総長として奈良・正倉院の虫干しのため、毎年1カ月ほどの単身赴任をした時期だ。当時10歳前後の杏奴ら3人の子供や妻しげにあて、ほぼ毎日手紙やはがきを送っていた。

 子供あてのはがきは「オカアチャンニヨロシク」といった短文が多いが、しげへの手紙に同封された便箋(びんせん)には、「アンヌにとらせたい正倉院の中のゲンゲ(レンゲ)」と記し、自ら手折ったとみられるレンゲの押し花を封入していた。

 鴎外の教育熱心ぶりを示すのが、自ら書いた歴史と地理の教科書。日本の歴史が簡潔な文体で書かれた「史」と、日本と諸外国の地勢や産業をまとめた「地」が、鴎外の手とじのまま残されていた。

 家族間の書簡は200通に及び、パリ留学時代の杏奴としげとの往復書簡や、姉で随想家の茉莉(まり)とのやり取りに、鴎外死後の森家の様子がうかがえる。また、文人たちの杏奴あて書簡は、戦中から戦後にかけて疎開先を転々としていた永井荷風(約30通)のほか、木下杢太郎(約20通)、中勘助(約170通)、与謝野寛・晶子(約20通)などがあった。

 これらの資料は「鴎外の遺産」(全3巻)として幻戯(げんき)書房から発売される。第1巻(税抜き2万円)の発売は12日の予定。

   ◇

 〈山崎國紀・花園大名誉教授(日本近代文学)の話〉 非常に貴重な発見だ。冷たい印象をもたれがちな鴎外の、子供たちへの愛情と、男女分けへだてない教育熱心さがうかがえる。晩年期は肺や腎臓を患い、体力の衰えが目立っていたはずだが、これだけ家庭のことに気を配っていた。改めて底知れぬエネルギーの持ち主だったと感嘆させられる。

2004年11月05日(金)「朝日新聞」


 

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