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「何か感想を書かねばならぬ約束で、原稿紙はひろげたものゝ、毎日、オリンピックのテレビばかり見てゐて、何もしないのである」。こう書き始めたのは、小林秀雄である。
“因为有约在先必须写一些感想,我铺开了稿纸,但是每天尽盯着看奥运会的电视转播了,一个字也没有写成”。小林秀雄(注:1902~1983 文艺评论家。东京人。东大毕业。确立以自我解析为中心的创造性的批评方式。著有〈意想种种〉〈说无常〉〈本居仙长〉等。获文化勋章。)就以这样提笔写开了他的文章。
「オリンピックのテレビ」は、40年前の東京五輪の直後に本紙PR版に載った。こんなに熱心にテレビを見たのは初めてで、自分でも意外だったと述べ、その訳を考える。「たかゞ小さな硝子板に映し出されたカメラによる模写である。だが、この抽象的な映像は生きてゐる。その自立した抽象性が、私を、静かな感銘に誘ひ込む」
这篇名为《奥林匹克的电视》的文章在40年前东京奥运会后不久刊登于本报的PR版上。他说,如此专心地观看电视还是第一次,连他自己都觉得很意外。他探究了一下原因。“无非是一些在玻璃板上显现出来的,被摄象机拍下的镜像而已。然而这些抽象的图像是有生命的。正是那种独立的抽象性使我默默感动”。
懐かしい、80メートルハードルの依田郁子選手が出てくる。「スタート・ラインで釘を打ってゐる。両手をつけて、鉢巻をしめた顔を上げる。サロメチールを塗る。トンボ返りをやる」。その肉体の動きによって「私の眼に、何も彼も、さらけ出してゐる」。その表情の簡明、正確、充実には、抗し難い魅力がある、と記した。
文中写到了令人怀念的80米跨栏项目的依田郁子选手。“钉子一般的蹲在起跑线上。两手撑地,扎着缠头布的脸向上昂起。涂镇痛剂。不时来回跑动”。通过这些肢体的运动,“一切都呈现在我的眼前”。他写道,其表情之简练、端正、充实,有一中令人难以抗拒的魅力。
依田選手を育てた「暁の超特急」の吉岡隆徳コーチは、大会前の手記に、こう書いた。「オリンピックに出る選手なら、誰でも自分との闘いに心を傷つけているものだ。オリンピックとはそんな人間と人間との勝負なのだ」
培养依田选手的教练,有着“清晨的超级特快”之称的吉冈隆德在大会前的手记中这么写道。“只要是参加奥运会的选手,谁都在自己的心灵上留下了与自己抗争的伤痕。奥林匹克就是要在这样的人之间力决胜负”。
これを受けて小林は、近代文学の世界は「自分との闘ひで心を傷つけて来た人間達」の告白で充満していると述べる。ただし、文学の世界には、勝負がない、と。
由此,小林先生说,在近代文学世界中充斥着“心灵上留下了与自己抗争的伤痕的人们”的告白。然而在文学的世界里是没有胜负的。
「たかゞ硝子板に映る模写」には、勝ち負けや肉体の動きだけでなく、それぞれの自分との闘いも表れる。連日、スイッチを切りがたい訳は、その辺にもありそうだ。
在 “无非是玻璃映出的镜像”上不仅仅是胜负或肢体的运动,也显示出了丰富多彩的与自我的抗争。连日来,难以关闭电视的原因或许就在于此。
注 :1)PR版------Preview Release的缩写,宣传目的的预展发行。
2)サロメチールを塗る------サロメチールは塗り薬で打撲や筋肉痛、捻挫の治療に使われる市販外用薬。塗るとスーッとしてヒリヒリするが、効き目が長く持続して、塗った後風呂に入ると死ぬほど痛い目に会う。薬屋にて入手可能。
陸上の依田選手は、気合い入れる意味で、スタートラインでこめかみ、腕、太ももに塗りまくるのが結構有名だったらしいよ。