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(中日对照)永井荷风散文选(9)

永井荷风散文选


然し其等近世の詩人に取つては、悲愁苦悩は屡何物にも換へがたい一種の快感を齎す事がある。白分は梅雨の時節に於て他の時節に見られない特別の恍惚を見出す。それは絶望した心が美しい物の代りに恐しく醜いものを要求し、自分から自分の感情に復讐を企てやうとする時で、晴れた日には行く事のない場末の貧しい町や露路裏や遊廓なぞに却て散歩の足を向ける。そして雨に濡れた汚い人家の灯火ともしびを眺めると、何処かに酒呑の亭主に撲られて泣く女房の声や、継母に苛まれる孤児の悲鳴でも聞えはせぬかと一心に耳を聳てる。或夜非常に晩おそく、自分は重たい唐傘からかさを肩にして真暗な山の手の横町を帰つて来た時、捨てられた犬の子の哀れに鼻を鳴して人の後うしろに尾ついて来るのを見たが他分其の犬であらう。自分は家いへへ這入つて寝床に就てからも夜中よるぢゆう遠くの方で鳴いては止み、止んでは又鳴く小犬の声をば、これも夜中絶えては続く雨滴の音の中に聞いた……


中译:


不过对于那些近世诗人来说,悲愁苦恼有时带给他们的某种快感是任何东西都无法取代的。我发现在梅雨时节有着其他时节所见不到的特别的朦胧感。已绝望的心追求的不是美好的事物,而是可怕的丑陋的东西,欲报复自己的情感时,在晴天都还没去过的远郊的穷乡僻壤,小胡同,烟花巷的这些地方,在这雨季反而想去散散步。望着被雨淋湿,显得肮脏的万家灯火,仔细一听,不知何处传来被醉酒的丈夫殴打的媳妇的哭泣声,还可以听见被继母虐待的孤儿的哀鸣声。某夜夜已深,我肩扛着一把油纸伞,回到黑乎乎的坐落山脚下的横町时,看见一只被遗弃的狗仔边发出哀伤的鼻音,边紧随着一个人的身后,估计那人是原主人吧。我回到家中直至深夜临睡前都还能听到远远传来隐隐约约的那小狗的哀鸣声,和着停了又下的雨滴声。。。。。。


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