作:テネシー・ウィリアムズ
Tennessee Williams
登場人物
ジョー
マイラ
マザー
シルバ
ビル
三人の運送屋
アメリカ中西部の、とある大都市にある埃っぽい共同アパートの、三階の南側の部屋。
外から聞こえるのは、ガランとした道を走るトラックの音や、汚れたトマト色のレンガ塀に挟まれた小道で遊んでいる子供たちの声。薄汚れた部屋の、上手の壁の窓から流れ込んでくる、遅い午後の陽射し。正面奥の大きなドアは、このアパートの廊下に通じ、そこには電話がある。下手のドアは寝室へ。古びた家具類は、乱雑に置かれ、ここでの25年に渡る苦闘と絶望の生活を物語るふうで、今は運送屋に運び出されるのを待っている。
隣の部屋から、ラジオの野球中継が聞こえる。
ジョー(23歳の若者)が、テーブルに向かって原稿と取っ組み合っている。目の前にはタイプライター。脇には古ぼけた旅行鞄。木綿のパンツにアンダーシャツ。
ジョー:(ラジオの音にイラついて窓を閉めるが、音は変わらない。再び、窓を上げ、下手のドアから出ていって、奥にある別の窓を閉める)
ラジオの音が小さくなる。ジョー、タバコに火をつけながら戻ってくる。不機嫌な顔。シルバ(背の低い、気のよさそうな、イタリア系の青年)が奥のドアから入ってくる。ジョーと同じくらいの歳。
シルバ:(挨拶代わりにニヤリと笑って、シャツを脱ぐ)
ジョー:ラジオだ! 野球だ! マトモなもんなんか書けやしないよ!
シルバ:相変わらずだな。
ジョー:昼も夜もだぞ!
シルバ:どうだい、調子は?
ジョー:頭が沸騰してる。眠れない。
シルバ:(原稿をチラッと見て)ロウソクの両端に火をつけて燃やしてるようなもんだ……。(テーブルから離れて)俺にはわからんが、残るのは燃えカスだけじゃないのか? ……おまえ、今日は引っ越しだったんだろ?
ジョー:そうだよ。(椅子に座り直し、一行打ち込んで、紙を抜く)運送屋に電話してくれよ、もう来てもいい頃なんだ。
シルバ:いいよ。でも、どこへ?
ジョー:ランガン倉庫。
シルバ:預けるのか、これ?
ジョー:ああ。
シルバ:なんで? 売ればいい。
ジョー:二足三文でか?
シルバ:預けたら、それだけ金がかかるだろう。売りゃ、いくらかにはなる。元手にはなる。
ジョー:なんの元手に?
シルバ:なんだっていい、おまえがやろうと思ってることのだよ。
ジョー:金ならあるんだ。おふくろの保険が。マイラとわけた150ドルがさ。……なあ、俺はどこへ行くんだと思う?
シルバ:さあ、どこだろう?
ジョー:リオデジャネイロか……、それともブエノスアイレスか……。スペイン語なら高校でやってるからさ。
シルバ:だから?
ジョー:言葉さえ通じれば、どうにかなるさ。
シルバ:スタンダード石油ででも働くか?
ジョー:そうだな。悪くはない。……電話してくれよ。
シルバ:(電話の方へ向かいながら)残れよ、ここに……。金なんか全部おろして、それで俺たちのプロジェクトに参加すりゃ……(出ていく)
ジョー:いや、残らないよ。ここはもう死んでるんだ、なにもかも、俺にとっては。金魚も死んでる。エサをやるのを忘れた……。
シルバの声:(電話に)ええっと、リンデルの0124を……、あ、ランガン倉庫? バセットアパートだけど、うん、そう、それが、まだなんだけど……、ああ、そう!(と切って戻ってくる)向かってるってさ。6月はシーズンなんだ。忙しいんだろう。
ジョー:こんなところに置いておくべきじゃなかった。かわいそうに。こんな日の当たるところで、きっと茹で上がっちまったんだ。
シルバ:くせえな。(金魚鉢をつまむ)
ジョー:どうするんだよ?
シルバ:便所に流すかな。
ジョー:便所はいかれてるよ。
シルバ:ああそうかい。(とバスルームへ)
ジョー:おお、ジーザス! 汝はなにゆえに金魚と雀とを差別したまうた?(と笑う)死した体になにほどかあらんや、か。
シルバ:(戻って来て)甘いな、ジョー。「けだし、金持ちだけは別なり」さ。新聞で、死んだカナリヤを、本物のダイヤモンドをちりばめた金の小箱に入れて埋葬したっていう大富豪の記事があったぜ。さながら一幅の絵だったろうなあ。白いサテンの上のサフラン色の羽に、大富豪の涙があたかもダイヤのごとく、日の光に煌めいて落ちる。願わくば、それに聖歌隊の合唱を添えて……まるで映画のような死。いずれもただただ美しい。……芸術家もいいが、なんとかならんのか、その長髪は? 腰の振り方ひとつで女だぞ。吸うか?
ジョー:サンクス。……ああ!
シルバ:どうした?
ジョー:嗅いでみてくれ。(と原稿をシルバに渡す)
シルバ:うーん。ベーコンの油の匂いになら自信があるんだがな。
ジョー:やっぱりクソか?
シルバ:こんなもんじゃないよ、おまえの才能は。来いって。俺たちのプロジェクトに。いまちょうど、町の観光案内を仕上げたところなんだ。
ジョー:それで、そのあとは?
シルバ:ああ! 神よ! ヘンリー・エル・ホプキンスに大いなる祝福を! ぺっ! ……芸術的な仕事さ。名付けて「古き法廷の幽霊たち」。奴隷売買の歴史について。……ひどいな、こりゃ。この子の台詞、「わたし、体の芯から、あなたをつかんでいたいの。ベッドで愛し合ってる間だけじゃイヤ、ハイボールの氷が音を立てる瞬間から、牛乳屋の通り過ぎる音がするまでの間だけじゃイヤなのよ……」
ジョー:(原稿をひったくって)いかれてるんだよ、頭が。
シルバ:たまってんだよ、そっちのほうが。
ジョー:まったくだ、独り身、に夏はいい取り合わせじゃない。ブエノスアイレスか。
運送屋1:(外から)こんちは!
ジョー:(ドアをあけに向かう)どうぞ。
ドアから三人の男がドヤドヤ入ってくる。汗。混乱。落ち着きなく、さまよう視線。
奥のやつからやってくれ。
運送屋1:もちろん。
シルバ:どうだい、景気は?
運送屋2:まあな。
運送屋3:あなたの! 私の! ポケットいっぱいの夢! ……いま何時だい、にいちゃん?
ジョー:4時35分。
運送屋3:よっしゃ、ハーフタイムで片付けちまおう。どうなってる、野球は?
ジョー:さあな。(うんざりと彼らを見る)
運送屋1:関係ねえだろ、早漏! 行くぞ!
三人、笑って奥に去る。
シルバ:(ジョーを見て)さあ外に出よう。こんなところにいたら気が滅入っちまう。
ジョー:荷物を見てないと。
シルバ:行こう。ビールでも飲もう。ラクリードに一杯10セントの店ができたんだ。
ジョー:シルバ、待ってくれ。
シルバ:なんだよ。
ジョー:…………
ベッドを運んで、三人が入ってくる。
ジョー:(じっとそれを見つめて)あのベッドの上で、俺は生まれたんだ。
シルバ:おいおい、よく見ろよ、もうただの普通のベッドだ!
ジョー:マイラもあの上で生まれた……
三人、ベッドを置いて出ていく。
おふくろはあの上で死んだ。
シルバ:あっという間だったんだって? ふつう癌だったら、もっと長引いて、もっと苦しむところだけどな。
ジョー:自殺だったんだ。あの朝、ゴミ箱に空瓶を見つけた。……でも、あの人が恐かったのは、体の痛みじゃない。医者と病院の支払いだ。俺たちに保険だけは残そうとして……。
シルバ:知らなかった。
ジョー:そうさ、知ってるのは俺と、おふくろと、医者だけさ。マイラだって知らないよ。
シルバ:マイラは、いまどこに?
ジョー:最後にハガキが来たのは、デトロイトからかな、ホラ。
シルバ:ヨットクラブだな。なにやってんだよ、あの子? ヨットで暮らしてんのか?
ジョー:(ぶ然と)さあ? 何をやってんだか……。知るかよ!
シルバ:なんにも言って来ないのか?
ジョー:…………
シルバ:いい子だったな、ホントに。それが突然……
ジョー:突然、壊れてしまった……おふくろが死ぬと……
明かりがゆっくりと変わっていく。
シルバ:(雑誌を拾い上げて)わかるよ、おまえがプロジェクトのことなんか鼻にもかけないのもさ。ヘミングウェイ。こいつ、ホントにいい顔になってきたな……
ジョー、魅入られたように立ち上がる。三人の運送屋が入ってくる。
スペイン内乱か。こいつ、本当に政府軍と一緒に、最前線の塹壕で戦ってるんだろ。一部の連中の批判なんかヤッカミだぜ。平和ボケだな……。(と読み始める)
マイラ、登場。若く、生き生きとして、輝いている。
ジョー:デートなの、マイラ?
マイラ:(笑って)なに?
ジョー:誰と?
マイラ:ビル。
ジョー:ビルってだれ?
マイラ:プールで会った人。ベルリーブのカントリークラブの。
ジョー:どうかな? ボーイフレンドを見つける場所として、プールてのは?
マイラ:サイコーでしょ。ジャンセンのスイムパンツってすっごくクールなのよ!(と部屋着を脱ぎ捨てて)そこの、白のサマードレス、取ってくれる?
ジョー:ええっと?
マイラ:ああ、いい! 触らないで! 汚されちゃう、お兄ちゃんの手じゃ。
ジョー:例のあの、あいつらはどうしたんだ? デイブとホワイト・ヒューだっけ? それから、あのシチーボーイは、どうしたんだよ?
マイラ:(白のドレスを着ながら)なあに? 誰のこと言ってんの? ねえ、背中のホック、とめてくれない?
ジョー:おまえの心は、クルクルクルクル、回転ドアみたいだな。
マイラ:お兄ちゃん……、ねえ、ラジオってそんなに面白いの?(急いで髪を梳かしながら)バッカみたい。一日中あの、ラジオの前に座ったっきり、いかれてんじゃないの、パパの頭は? いつまでも、いつまでも、いつまでも! どうしようもないわ!
ジョー:おまえさ、ものには言い方ってもんがあるだろ? そんなふうに言ったら、おまえ……
マイラ:言い方なんか知らないわよ! 本なんか読まないし。……どう?
ジョー:きれいだよ。でも、どこに行くの?
マイラ:チェイス・ルーフ! ……ビルってね、そいこらの男の子とはぜんぜん格が違うの。金持ちってやつ? ねえ! 窓、開けて! ……どう、曇ってる?
ジョー:いや、晴れてるよ。ベルのようにね。
マイラ:よっしゃ! 星空の下のダンスだわ!
と、ドアベルが鳴る。
彼だわ。ドアを開けてあげて。
ジョー、ドアに向かう。ビルが入ってくる。
ジョー:スイスへお出かけだそうですね?
ビル:ああ?(なんとなく)ハハハ、まあね。マイラは?
ジョー:まあ、座りなよ? すぐ来るよ。
ビル:ああ。
ジョー:(イスの上の新聞を片付けながら)ウチは、みんな揃って新聞を読むんだ。世の中の流れに遅れないようにね。きみは、どう? スポーツ欄?(一枚抜いて差し出す)
ビル:いいよ。
ジョー:カージナルスがダブルヘッダーで連勝だ。なになに、ジョー・マドヴィックがスリーラン打ったってさ。マンガ読む?
ビル:いいよ。もう読んだ。
ジョー:へえ。まだかと思った、だってまだこんな時間だからね。
ビル:夜の8時45分だ。
ジョー:あれ、面白いだろ?
ビル:ええ?
ジョー:あのシャンデリア。あれを見てたんだろ?
ビル:別に、見てないよ。
ジョー:僕はあれを見ると、いつもマッシュルームスープのことを思い出すんだ。
ビル:(つまらなそうな様子でジョーを見返す)
ジョー:マイラが言ってたけど、ハントレーヴィレッジに住んでるんだって?
ビル:だから、なに?
ジョー:いいところだろうなって、夏はさ。
ビル:まあな。(立って)ちょっと、呼んでくれないかな?
ジョー:来るって、支度ができれば。
ビル:その支度ってのがな、どうも……。
ジョー:おいおい、まさか初めてのデートじゃないだろうな、きみは?
ビル:どういう意味だよ?
ジョー:僕の経験で言えばだ、女の子ってのは、男の子が呼びに来たからって、すぐには部屋から飛び出しては来ない。
ビル:ふん。でも、水泳のチャンピオンなんだろ、もっと素早くてもいいじゃねえか。おい! マイラ!
マイラ:(鏡に向かっているかのように壁に向かっている)いま行くわ!
ジョー:ちょっと悪いな。(とビルを押し退けて、マイラのところへ)あのビルってのはダメだな、ありゃ。あと一分でも一緒にいたら、殴るかもしれん。
マイラ:じゃあ、お兄ちゃんが出てったら? あたしは好きよ。……ねえ、お兄ちゃんは? 今夜どうするの?
ジョー:家で、書いてるさ。
マイラ:また? お金ないんでしょ? ホラ。(と1ドル札)それで、詩を書いてるっていう、あの子とデートしてきたら? ドリスって言ったっけ? あの子だって、気分転換したほうがいいソネットが書けるんじゃないの? ……もう! ストッキング履くの忘れてる! ビル、もうちょっと待ってて! ……ねえ、首の後ろのとこ、どう? 汚れてない? ねえ!(と香水をかける)……一日三回はお風呂に入らなきゃダメよ、お兄ちゃんも。蒸し暑いんだから。あんな子、ものにするのはわけないって。
ジョー:そういう言い方はやめろよ。
マイラ:ちょっとどいてよ!
ジョー:いいか、おまえはまだ子供なんだ。
マイラ:お兄ちゃんよりは大人よ! じゃあね!
ジョー:…………
マイラ:(ビルを見て、輝くような笑顔で)おまたせ!
ビル:おう。早く出ようぜ、こんな豚小屋。
マイラ:ええ。
二人、出ていく。三人の運送屋が入ってくる。
運送屋1:楽ちん楽ちん。
運送屋2:おいしょ!
運送屋1:誰だよ、ドア締めやがったのは?
ジョー:今開けるよ。おい、階段を気をつけろよ。
シルバ:(雑誌から目をあげて)鏡を割ったら、7年先まで不幸だって言うからな。
ジョー:そうかい。じゃあ俺たちの鏡は、生まれたときから割れてたんだ。どうだよ、その話?
シルバ:面白い。
ジョー:(覗いて)「蝶々と戦車」か。俺も読んだ。
子供たちの声「もーいいかい……まーだだよ……もーいいかい」
ジョー:かくれんぼか……。よくやったな、子供の頃。
シルバ:そうか? 俺の近所じゃ、女の子の遊びだったけどな。
ジョー:よくやったよ。マイラと二人で。非常階段、降りたり昇ったり、地下室に入ってったり。ああ、俺たちにも極上の時間があったんだ。なぜ、こうも変わってしまうんだろう、大人になると。
シルバ:大人になるとか。(とページをくくる)
ジョー:そうだよ、大人になるとさ。
通りをすべるローラースケートの音。照明が落ち、スポットのなかに、病み疲れた感じの小さな女……母。
母:ジョー、またダメだわ。
ジョー:(母の方に向いて)どうしたの?
母:ムダだったわねえ、手術なんて。お金ばっかりかかって。
ジョー:おかあさん……ねえ、どうしたの?
母:また痛みだしたのよ。
ジョー:いつから?
母:ここんところずっとね……
ジョー:そんな、なんで……
母:ジョー、どうにもならないわ、もう。
ジョー:でも、たぶん……そんなことって! もう一度手術しよう! ママ!
母:ダメよ。なるようにしかならないわ、ジョー。こんなふうに……(と部屋を見回して)こんな、狭っ苦しい部屋、ぜんぜん好きになれなかった。いつももっと広い空間が欲しいって思ってた。もっと広い、田舎の、丘の上の……、あたしは田舎に生まれて育ったから、だからまたいつか、そこへ戻っていけるんだって……
ジョー:うん、そうだね。(ひとりで)あの日曜日の午後の、田舎のドライブ……。果樹園に透けた、夕暮れの黄色い光。らせん状に動く影。吹きっさらしの古い空家が傾いていた……。あなたはそれを見つけて、親父に車を止めさせようとして――
母:ねえ! ホラ、この家、売りに出してるわ! 大した値段じゃないわよ、きっと。リンゴ畑に……鶏小屋に……それに納屋まである。ちょっと傷んでるようだけど、直したって大してかからないもの。……ねえ、フロイド。ちょっと見ていきましょうよ……
ジョー:しかし、親父は見向きもせずに、耳も貸さずにそのまま通り過ぎた……。やがて、うねるような垣根は小さくなっていき、そそり立つ石の壁に日が遮られ、あなたの顔にも陰がさした。そこには絶望が滲んでいた。まるで、取りそこねた獲物をあきらめきれない子供のように……。でも、黙っちゃいなかったね。あなたも。そのあとで、ドライブインに止まった時、「卵よ、卵が要るの、私たちには……」。そう言って、25セント玉に10セント玉、それに5セント玉を父から借りて……。日は傾いて、冬の荒野に沈みかけ、空気は冷たかった……
母:死ぬってことを、箱に入れられて地面の下に埋められることだと思ってる人がいるけど、あたしはそうじゃないと思う。その反対よ、ジョー。あたしにとっては、それは、箱から解放されること。上昇してゆくことなの。沈んでいくんじゃないわ。いままで、神様なんて信じたことなかったし、今でも信じないけど、でもきっと、天国には広い空間がうんとあって、毎月の家賃の心配なんかしなくていい、あの口うるさいオランダ人に水の使い方をうるさく言われずにもすむ……。自由よ、ジョー。自由。人生で一番大切なものは。おかしなものね、あたしたち、死ななきゃ自由になれないなんて。でも、そういうものなのよ。受け入れなきゃね。つらいのは、ちゃんとしないまま残していく、あなたのことよ。聞かせてちょうだい、さあ、あなたは何をしたいの? これからどうするつもりなの?
ジョー:うん。
母:三百ドルをどう使うつもり?
ジョー:なにも考えてないよ。
母:考えて、ジョー。あの保険はあなたの名義なのよ。タンスの右の引き出しの、ハンカチ入れの下に、畳んであるから、さあ……(と消えていく声)
二人の運送屋が入ってくる。
ジョー:どこへもっていくんだ? それ?
母、消える。日の光が輝くように。
運送屋1:いま行くって!(と、持ってるものをぶつけてしまう)
ジョー:おい! どこ見て運んでるんだよ?
運送屋2:なにどなってんだあ? あいつ?
運送屋1:それがさ、聞いてくれよ……(二人、笑って出ていく)
ジョー:人のものだと思って。昔はこんなじゃなかった!
シルバ:(雑誌から顔をあげて)別に、壊そうと思ってやったわけじゃ……。
ジョー:やったわけじゃない、そうだよ……
シルバ:もし壊したら、弁償させりゃいいさ。
運送屋3:(ガラス瓶を持って来て)これ、このカラの香水瓶、タンスの上にあったけど、いるのかい?
ジョー:そこに置いといてくれ。
運送屋3、出ていく。ジョー、床に置かれた香水瓶を手にとり、嗅ぐ。再び、照明が暗くなり、マイラの声が聞こえる。
マイラ:楽しかったわ、今日は。ビル。
ビル:なんだよ。……ホラ、真っ暗だぜ、みなさんもうすっかりお休みだ。
ジョー:(立って、身構える)
マイラ:(廊下に現れて)ジョーの部屋がまだついてるわ。
ビル:静かにやればいいさ。なあ、音なんかしないよ、こんなにちっちゃいんだ、俺の口は。
マイラ:(キスして)ね、もう帰って。
ビル:来いよ、さあ! ……なんだよ!
マイラ:ねえ!
ビル:おいおい! 我がセントルイスが誇る、フリースタイルと飛び込みのチャンピオンがどうしたんだよ?
マイラ:それが何の関係があるの?
ビル:俺だってブレストストロークなら得意だぜ、ってとこかな、水の外じゃ。
マイラ:もういいわ、あたし、寝たいのよ。
ビル:俺もだよ。
マイラ:おやすみなさい。
ビル:おい!
マイラ:なにすんのよ!
ビル:なんだよ、こいつ! ……いいか、俺はな、お上品なお嬢さま方だってデートをするんだよ!
マイラ:なんのこと、それ?
ビル:いや、別に……。
マイラ:あたしにどうしろっていうの?
ビル:……しようがねえ、教えてやるよ。いいか、そういうお嬢さま方ならばだ、「今日は楽しかったわ、おやすみなさい」てのもありだ。……だがな、おまえのような女が俺に売り込もうってんなら……
ジョー:出てけ!
ビル:なんだ、お兄さんかい。僕はもうてっきり牛乳配達へでも出掛けたもんだとばかり……
ジョー:出てけ! ふざけるな!
マイラ:お兄ちゃん!
ジョー:出てかないなら、張り倒すぞ!
ビル、ヘラヘラ笑って出ていく。
マイラ:お兄ちゃんの言った通りだった……。ダメよ、あんな奴。
ジョー:(マイラを見る)
マイラ:「おまえみたいな女」って、どういう意味よ?
ジョー:こういう意味だろ。(と、かがみ込んで床から小さな物を拾う)
マイラ:(見もせずに)なに?
ジョー:なんだろうな……あいつのポケットから落ちたんだ。
マイラ:(呆然として)ねえ……お兄ちゃん、あたし、違うわよ、あたし……
ジョー:やめろ……おかあさんが寝てる……
マイラ:(興奮して)わかってるわよ! わかってるわよ! なにがチェイス・ルーフよ! 星空の下のダンスよ! 汚らしい、腐った、キチガイ連中じゃない! 帰り道で、あたし吐いちゃったわ! 車のなかで、吐いちゃった! そのあとよ、あいつ、公園に車を止めて、いきなり……チクショウ! あたしはね、ただ楽しく遊びたかっただけなのよ! わかる? だって、あたしのやってることっていったら、ウェーバー・アンド・ヤコブズで、コルセットにホックとホックの穴を縫いつけてるだけなのよ。外へ行きたかったのよ、楽しいところへ出掛けたかったのよ! なのに、あんなの、知らないわ! あれじゃ、ゴキブリと同じじゃない、ああ、ゾッとする!
ジョー:黙れよ!
母の声:ジョー……マイラ……(うめく)
マイラ:なに? どうしたの?
ジョー:また病気なんだ、おかあさんが……
マイラ、舞台から駆け去る。ふたたび明るくなる。
……死んだ。
シルバ:なんだよ?
ジョー:なんでもない。香水、いるかい?
シルバ:なんの香水?
シルバ:カーネーション。
シルバ:いいよ、やめろよ、怒るぞ。
三人の運送屋は入ってくる。
運送屋1:(運送屋3に)少しは黙ってできないのか? ホラ、カーペット行くぞ。
運送屋3:わかってるって、ジョン。でも、あの場面じゃ、どう考えたって代打だぜ。メーアンか、フラワーズか……
運送屋2:フラワーズ? バカ! あんなの、象のケツも叩けやしねえ! おい、そっちの端、持てって。ホラ、ヨイショ!
運送屋3:おっ。お隣さんは今夜はキャベツだな……
女の声:(道から)メイジー! どこに行ったの? メイジー
運送屋3:あのシカゴのゲームじゃあな……
三人、去る。
ジョー:(壁から写真を一枚とる)
シルバ:マイラか?
ジョー:ミシシッピ・バレーのリレーで新記録を出して、新聞の載ったときの奴だよ。
シルバ:(写真を受け取って)きれいな体してたな。
ジョー:ああ。
シルバ:なんであんなふうになっちまったんだろう?
ジョー:あんなふうって?
シルバ:あんなふうさ。
ジョー:……わからない。もう帰れよ、ほっといてくれ。
シルバ:ここにいるよ。……これ読んでるし、おまえの頭もいかれてるしな。
ジョー:返してくれ、その写真。(かがんで、スーツケースのなかに写真を詰める)
照明、暗くなり、マイラが入ってくる。安っぽい、人ずれした雰囲気、自分じゃ買えないような豪奢なネグリジェ。
マイラ:やめてくんない? あのゴロツキをうちに入れるの!
ジョー:(立って)シルバのことか?
マイラ:あたしのことを、嫌な目つきで見るのよ。
ジョー:おまえを?
マイラ:あんな目つきで見られるくらいだったら、裸で立ってたほうがまだマシだわ。
ジョー:(ケラケラ笑う)
マイラ:なにがおかしいの? 自分の妹があんな目つきで見られてるっていうのに。
ジョー:おかしいさ。
マイラ:おかしいのは、あなたの笑いのセンスじゃないの。
ジョー:(マイラを見て)それで恥じらってるつもりなのかよ? え? いまさら、男の子に見られるのが恐いって?
マイラ:気持ち悪いったらない、あの男。
ジョー:そりゃ、ラデューあたりに住んでる奴とは違うさ。
マイラ:風呂にも入ってないし。
ジョー:そんなことはないよ。シルバは毎朝ちゃんと、組合の本部でシャワーを浴びてるよ。
マイラ:組合の本部! あなたねえ、もっとまともな人間とつき合うこと考えたほうがいいわ。あんな、キチガイのイタリアンやら、黒人やら……
ジョー:やめろよ! ……おまえは下品になったよ。欲望のままに……。そうさ、どこをどうとったって、欲望のままに生きてる連中がクソより上品だなんてことはないんだから!
マイラ:当たり前じゃない、欲望のままに生きるわよ。クソみたいな連中よりマシだわ。
ジョー:いいか、クソみたいな連中っていうのはな、おまえのまわりにいるような連中のことだぞ! 50ドルのスーツ着て、腐った腹の中を隠してる野郎たちのことだ。……おまえ、一度、血液検査してもらったほうがいいんじゃないか!
マイラ:なんで? ……なんで、あたしをそんなにいじめるの! あたし、そんな……、パパ! パパに言いつけてやるわ……
ジョー:俺はな、マイラ、おまえを信じてたよ。けど、もうダメだ。おまえは、太ったブタたいに堕落していく。鏡で見てみろよ、自分の姿を。なぜシルバが、おまえをそういう目で見たと思う? なぜ夕べ、通り過ぎていくおまえに向かって、新聞売りの男の子が口笛を吹いたと思う? なぜだよ? それはな、おまえがそういう女に見えるからだ。それも安っぽい、6ドルも出せば誰とでも寝るような、そういう女に見えるからだ。
マイラ:(呆然とジョーを見つめて、しばらく口がきけない。やがて、静かに……)そんなこと、言わなかった……ママが生きてるうちは……
ジョー:言わなかった。ママが生きてるうちは、おまえはそんなじゃなかった。そして、家にいたじゃないか、いつだって。
マイラ:家? これのどこが家なの? こんな、狭っ苦しいところ、すぐに出てってやるわ。……そうよ! だれがこんなところに……頭のおかしいキチガイと一緒に、いやらしい目で見られて、おまけに……クソ呼ばわりされて!
ジョー:もし本当に、自分の妹を誇りに思っていたら……、そんなふうにおまえを見る奴は俺が殺してやるよ!
マイラ:えらそうに! 一日じゅうブラブラしてて、誰も読まない、クズしか書けない無能のくせに! 一円だって稼いだことがないくせに! あたしがパパだったら、すぐにたたき出してやるわ……、(顔を背けて)ああ!
ジョー:……そんな必要はないさ、たぶん。
マイラ:いつもそれ、そればっかり! でも、そうなる前に、なにもかもなくなって、それでおしまいよ、こんな家!
マイラ、笑って去る。照明、明るくなる。
ジョー:そうだ……
運送屋1と2、カーペットを巻き出す。
その通りだ。なにもかもなくなってしまって、それでおしまいだ。(笑う)
シルバ:ん、どうした?
ジョー:先週、ハガキが来たんだ。
シルバ:誰から?
ジョー:マイラから。
シルバ:さっき聞いたよ、それは。(雑誌を放り投げて)おい、親父さんはどこにいるんだよ?
ジョー:さあ、知らない。
シルバ:わけがわからんぞ。いい年して、仕事も家もおっぽり出して、どっかへ消えちまうなんて……、50年、いや55年、ともかく、それだけの間まともな中流の生活をやってきたんだろ。
ジョー:おそらくその、中流の生活てのに嫌気がさしたんだ。
シルバ:俺は不思議に思ってたよ、あの人は一晩中、あのバカでかいイスに座って、何を考えてたのか、と。
運送屋3と4、戻ってきて、そのでかいイスを運んでいく。途中で、イスにかかっているシャツを、ジョー、取って、ゆっくりと羽織る。
ジョー:俺だってそうだよ、不思議に思う。なにも一言も喋らなかったんだから。
シルバ:うん。
ジョー:あれに座って、ただ座って、いく晩もいく晩もいく晩も……、そして消えちまった、みんな消えちまった。
シルバ:だからさ、おまえも行こう。
ジョー:おまえこそ、俺を待たずに先に行けよ。独りにしてくれ。
シルバ:いや、どうも気に食わんのさ、おまえのその様子がさ。なんだか責任を感じるのさ。おまえが、妙な気でも起こして、その窓から飛び下りるんじゃないかってさ……
ジョー:(短く笑って)バカな、なんでそんなことを?
シルバ:おまえはいま、普通じゃない。わかるよ。まるで糸が切れた凧みたいに、ぼんやり虚空を見つめてるんだ。わかるよ。おまえはいま、過ぎ行くものたちをゾッとする思いで見つめてるんだ。まるで、死んだ誰かを懐かしんで、墓場をさまよう道化のように。でも、ここはおしまいだぞ、ジョー。もう、どうしようもないんだよ。
手回しオルガンの弾く、10年、15年前のブルースが、遠く、町のはずれから聞こえてくる。その憂鬱な、陽気な気分が、幕切れまで続く。
いつか、これを物語にすればいい。「空室のエレジー」だ。でも、いまは行こうや、そして飲もうや! 世界はえらいスピードで進んでるんだ。ついて行かなきゃ!
ジョー:でも、「さよなら」も言えないほど、早くはないだろ?
シルバ:「さよなら」? そんな言葉、俺にはないね。「ハロー」が流行りさ。
ジョー:ごまかすなよ。おまえはいつだって言ってるんだ、「さよなら」を。いつだって、どんな時だって。なぜなら、それが人生だから。長い長い「さよなら」なんだ!(ほとんど泣きじゃくるように)「さよなら」から、「さよなら」へ、そうしていつか、最後の「さよなら」へ辿り着く。それは自分自身への「さよなら」だ!(窓へ向かって)出てってくれよ! 独りにしてくれよ!
シルバ:わかった。……だがな、そんな、キリストのように泣いているおまえを見てると、こっちまで悲しくなるぜ。(シャツを着始めて)ウェストンの店で、一杯やろうや。もし、会えたらな……。(皮肉まじりに笑って)覚えとけよ。ソクラテスが言った言葉だ、「毒ニンジンは、ジョッキ一杯のビールの悪き代用品なり」だ!(笑って帽子をかぶる)……じゃあな。
シルバ、ドアから出ていく。何もなくなった部屋に取り残される、ジョー。壁の黄色いシミ。モノトーンのハゲかかった壁紙。奇妙に歪んだシャンデリアの影が無情に映る。窓から差し込む日の光は澄んで、レモン水のように消えていく。オルガンが一瞬途絶え、ハエのブンブンいう音が大きく響く。再び、オルガンが聞こえ出すが、バンのエンジンの始動する音、それから走り出す音にかき消される。
ジョー:(ゆっくりと窓に近づく)
窓から、子供たちの遊ぶ声。ジョー、それを見ている。体は、ノスタルジックな傷みに痙攣しながら……。それから、ニヤリと笑って、スーツケースを持つとドアへと向かう。誰もいなくなった部屋に向かって、おどけた敬礼をして、手をポケットに突っ込み、出ていく。
子供たちのはやす声と、笑い声。音楽は続いて……
幕